仕事辞めて海外へ行ってブログで生活する人生は幸せなのか?体験談を告白する

カンボジア在住ブロガー北川勇介

ぼくの仕事はブログを書くことです。

ブログを書いて、多くの人に読んでもらったり、役立ちそうな商品やサービスを紹介することでGoogleとかAmazonとかそれ以外の会社から広告料をもらって生きています。

なにその働き方もうちょっと詳しく知りたいって方は、ブログ運営に関する記事を読んでもらえるといいと思います。

胡散臭い言い方ですが、パソコンとネット環境と電源があれば割とどこでも仕事ができ、好きな時に働いて好きな時に休めます。

ブログ書いて生きている人がいると知った時「なんて理想的な働き方なんだ」と思い、この生き方を極めたいと思ってこれまでやってきました。

そして今では念願叶って、ブログで稼いだお金で、住みたかったカンボジアに暮らしているわけです。

ただ、自分にとって理想の生き方を実現できた今、俺は果たして幸せなのか?を考えたらよくわかりませんでした。

ブログはいいよ、みんなやろうという発信は多いですが、失敗した面を見せている人はあまりいない気がしますので、本音で色々書き殴ってみました。

よければお付き合いください。

ブログを書いて海外生活できるようになった時に陥った凡ミス

好きな時に好きなことをして好きな国に暮らす。

ここだけ聞くと理想的じゃないかと思われるかもしれませんが、ぼくにとって致命的なミスはそれがゴールになってしまっていたこと。

「ブログを書いてカンボジアで生活する」を目指してやってきたら、それが達成できた後にやりたいことが全然わかりませんでした。

ただ幸い「なぜブログを書いてカンボジアで生活をしたかったか?」だけは明確でした。

「時間や場所に囚われずに働いて、建設した小学校のことをサポートする」と言う目標があったからです。

ですが、公立学校として国へ譲渡し所有者としての権利がない建物に関与し続けることへの違和感もあります。

たまに様子を見にいった時に先生や村の人たちから「〇〇が足りない」と言われればやりますが、こちらから一方的に求められているかもわからないことをやり続けて与えた気になるのもどうなんだと思うからです。

そうなると、学校での活動のために時間に縛られない暮らしが実現できたとしても、ぼくには次に向かう目標がありません。

ないのに探します。変な人ですね。

やりたいことがないのに無理して探すなんてどうかしてる。

結果ぼくは、心からやりたいわけでもない、それっぽい理由をつけた活動を始めます。

まるで自分がここにいることを肯定するためみたいに。

ブログを書いて海外で生活する先にあったものは無

いや、無ってことはないけど、そう思えました。何もない。

だって、パソコンとネット環境があればどこでも成り立ってしまうと言うことは、別に誰かに会う必要もないし、何か具体的に行動しなくてたっていい。

小さな部屋の片隅でパソコンに向き合っているだけで、暮らせてしまうこの生活は果たして幸せと呼べるのだろうか?生きている実感を感じられるのだろうか?

ここじゃなくていいんじゃないか?

多くの人に無理だやめとけと言われて、それでもできると信じて進み続けたカンボジアの小学校建設は、根拠なんてなかったけどやり続ければ絶対うまくいくと思っていた。歩き続けた。

そこにはたくさんの人と出来事があった。

ブログを書いて海外で生活することが何もないわけではない。

ずっとやりたかったことが叶った自分が空っぽだったのだ。

その無を埋めるために、すごいねと言われそうなことを探していたのだ。馬鹿みたい。

空っぽの自分を埋めるために人と比べて嫉妬していた

SNSの世界にはすごい人たちがいます。

同じようにブログで稼いでる人たち、それも自分より年下の人たちがブログ開始からたった数ヶ月で月収100万円を超えたと言っていた。それも一人じゃなく、何人も。

そしてその資金をもとに面白そうな企画をやっている人、社会の役に立ちそうなことをやっている人たちがいた。

最初は「この人すげえな」と思って見ていたりもしたけど、だんだんと「それに比べて自分にはセンスがないんだろうな…」と感じることが増えてきて、SNSのタイムラインを埋めていくそんな情報に嫉妬してムカついたこともありました。

ぼくはぼくがやりたかった道を歩いていたはずなのに、人の生き方に気を取られている。

理由は自分の月収が彼らより低いから。

そして、やりたかった生活を手に入れても、何をやりたいのかわかっていないから。

空っぽの自分を人と比べて、現実を目の当たりにして、勝手に苛立っていました。

何をしたいかよりもどうありたいか

「学校辞めました」「バイト辞めました」「会社辞めました」「ぼくらは何にも縛られずに海外で生きていきます」そのような発言が増えたり、どこか美談っぽくなっていくことで、それらを肯定できない自分もいました。

ぼくは仕事を辞めたくて辞めたわけじゃないけど、勤めていた職場を離れてから、ブロガーとして海外で暮らしている一人なので。

何かが叶った瞬間は、確かに幸せです。

ぼくもカンボジアにアパートを借りた時、自分が無敵に思えました。

でも、何か夢を叶えてもその先にまた新たな悩みにぶつかります。

その時に自分がどう在りたいのかか、どうしたいかを考えていないと、突然足はピタッと止まってしまう。

これでよかったのかと頭を抱える日が続く。

だからぼくらは、何をしたいかよりも自分がどう在りたいのかを一生問い続け、現状と理想のギャップを埋めるために行動し続けなければならないのです。

自分の理想の実現のために、今日も半歩でも進めている実感があれば何をしていても多分幸せです。

同時に、人と比べていないか?人からどう見られるかでやること選んでいないか?も見直していかないと、このような生き方考え方ではどんなことしていても永久に物足りなさを埋めることができないと思う。

まとめ

今のぼくは、すごく抽象的だけど、大切な人のやりたいことを応援することから始めました。

今はそれがいいと思える。

ブロガーとして作り出した生活スタイルのおかげで、そこにお金と時間を使うことができる。

今後はその使える幅を広げていく。

でもまた変わるかもしれません。

そして、それもまたいいと思える。

生きていればいろいろあるのだから。

やりたいことがコロコロ変わる人

やりたいことがあることが充実とは限らない。

ないといけないわけじゃない。

いろいろあった時に、すぐにできることが増えていることも十分幸せなことだと思うのです。

だからぼくはこれからも「好きなことをして生きていく」を肯定できる大人で在りたい。

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