
いろいろ考えて、自分がどう在りたいのか?を突き詰めていったら「自由で在りたい」と心の奥底から跳ね返ってきました。
自由で在るためにはどうしたらいいのかを考えたら、目的を持たないことではないか?という仮説に行き着きました。
目的が人を縛る
何かをするにあたって目的を探してしまうと、その目的が我々人間を縛っているように感じます。何のためにやるのか?なんか、本来考えなくたっていいのではないかと考えるようになりました。
そんな曖昧なことを考えるから「それっぽい答え」を見つけて、それに縛られて生きていく。だから不自由になる。
本来の心の底から湧いて出たわけではなく、世間体とかその場しのぎ的な考えでhave toな答えだから、後々その答えが自分を苦しめることにもなる。そこに心からのwant toはない。
やりたいからやる、で十分だと思う。
暇だから目的を探す
じゃなんで人は目的を探すのかというと、目的がないと暇だからだと思います。
暇に耐えられないから、その暇を埋めるために生きがいとかやりがいとか目的を求める。生きる意味とか自分の存在価値とか、そんな探す必要がないものまで探し始めて深い悩みにハマる、とぼくは思うのです。
「誰かの役に立ちたい」「社会の中で認められる存在になりたい」という欲求が悪いわけではないと思います。その欲求の満たし方はいくらでもあるので、それっぽいものから探さなくてもいいのでは?という話。
目的を無理矢理にでも進路に繋げたり、職業探しに向ける必要なんてないんじゃないかなとも感じるわけで、生きがいとかやりがいなんかも職場や職業の中に求めて探そうとするから見つかるものも見つからない。
「人生は暇つぶし」って誰かが言っていましたが、本当その通りだなと感じます。暇に耐えられないから目的を探す。その目的に囚われて苦痛や負荷や悩みを抱えるなら、ずっと暇でいいとぼくは思います。
自由は何かをしなくてはいけないわけではない
自由をずっと追い求めてきたわけですが、ずっとぼくの人生は忙しなかった。絶えず何か予定が入っているからです。これは不自由だと思いました。
なぜ予定を入れまくっていたかというと、自由を象徴したかったのだと思います。俺はこんなに遊んでいる、こんな遠くに行っている、こんな頻繁に出かけているなど。馬鹿馬鹿しい。
自由だからなにかしていなくちゃいけないことはない。何をするのも自由なのだから、何もしていない自由がそこにはあっていい。心の底では、それを求めている気がしました。
これからどうするのか?
タイトル通り、目的なく生きていくためにどうするのかの具体的な行動計画。
勿体無いという声に負けない
「お前はもっと人前に出るべき」「お前の助けを待っている人がいる」「お前の力を活かす場所はパソコンの前じゃない」みたいなことを言われたりもしますが、やりたいことじゃなければやりません。
平凡に過ごしているだけだとお前の強みが消えるとも言われますが、それでいいです。人はぼくをそう見るかもしれないけど、ぼくはぼくをそうは見ていない。心の奥底では、平穏で何もない日々を求めている。退屈でいい。やりたくなったらやる。
みんなにいい顔をしない
何かをしようと思ったら、やっぱり家族のことも気になる。だから家族ぐるみで何かすれば、やりたいこともやれるし、会いたい人にも会えるし、家族も置いてけぼりにならない全ていいと思っていたけど、それは違いました。
結局みんなにいい顔したい自分のエゴで、それをやる過程に楽しみはなかったです。なぜなら先方の事情と家族の事情を顧みて、板挟みにあい妥協点を見つけることが自分の仕事になってしまう可能性を孕んでいるからです。そんなの心の底からやりたいことではない。
いろんなことをかけ持つのもの疲れた。板挟みはごめんだ。もっとやりたいことをやる。
自分を高め続ける
暇に耐えられないから目的を探し、その結果苦しむのであれば、暇な時は好きなことをやればいいと思います。
最近気づいたのは、自分のレベル上げが好きというか趣味なんだと思う。自分がどこまで成長できるのか自分に挑戦し続けたい。
自分を向上させた後に何をしたいのか?何のためにやっているのか?はもちろん考えていません。いいなと思ったことをやって、なりたい自分になっていく。
アウトプットを増やす
「自分が今何を求めているのか」という声に従うためには、自分が何を言っているのかを拾えないといけない。そのために自分と向き合い続けます。
方法はアウトプット。思考を言語化し自分の心に忠実に生きていく。
やりたいことは自分のためにやる。その場のノリと勢いと直感で決める。
まとめ
今回の記事はCTIが主催しているコーチングスクールのバランスコースと、その直前で読んだ「目的への抵抗」という本からの学びに基づいて考えた今の自分に必要そうな生き方です。
またこの先、考えが変わることはあると思いますが、しばらくは「なんのために?」を忘れて自分のためだけにやりたい放題やっていこうと思います。

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