Yusuke Kitagawa
ブログ・動画編集・コーチングを生業に、時間や場所に縛られず好きなことをしています。 このブログはAIなどを使わず、自分が体験したことを自分の言葉と写真でシェアする雑記ブログです。 記事を読んで感じるものがあった人、現状を変えたい人、大きな変化をもたらしたい人はぜひお話しましょう!

カンボジアの小学校建設はやりたいからやった訳じゃない話

「わたしもカンボジアに小学校を建設したいです」とか「ぼくも現地の教育に携わりたいです」という問い合わせが多いのでお答えします。

前提として、ぼくはカンボジアに小学校を建設しましたが、教育活動には関わっておりません。

そして建てたいから建てた訳でもないです。

カンボジアの小学校建設はやりたいからやったわけじゃない

途上国に小学校を建設することそれ自体は夢にも目標にも値しないという記事でも書いていますが、カンボジアに小学校を建設した理由は、自分がやりたいからやったわけではありません。

では、なぜやったのか?

  • そこに小学校がなかったから
  • 小学校に通いたい子ども達がいたから
  • 子ども達を学校に通わせたい大人達がいたから
  • 自分の目で見たリアルが放って置けなかったから

これが、ぼくがカンボジアに小学校を建設した主な理由です。

そこに小学校がなかったから

ぼくが建設した小学校は、世界遺産アンコールワットのある街シェムリアップからおよそ1時間ほど、距離にしたら約60kmのところにあります。

その村の中には小学校がなく、子ども達の一部は遠くの小学校に不定期に通ったり、家の手伝いをして1日を過ごす子がほとんどでした。

小学校に通いたい子ども達と通わせたいけど通わせられない大人たちがいたから

その村には学校に通いたい子ども達と、学校に通わせたい大人達がいました。

では、なぜ通えなかったか?

一部の子ども達が通っていた小学校。

ぼくが訪問するもっと前に、通学中の女の子が車にはねられて亡くなってしまったそうです。

国道6号線と言う大通りを、小学生達が毎日通学するリスク。

学校で勉強してほしいけど、危ない通学路は通って欲しくない。

そんな大人の願いと現実がありました。

自分の目で見たリアルが放って置けなかったから

この話を聞いて、ぼくの中で何かがカチッとはまった気がしました。

世界には満足に勉強できない子ども達が、まだまだたくさんいる。

そんなことは知っていたけど、それを目の当たりにしたら放っておく理由がないから。

ノリといえばノリだったけど、なぜかぼくは小学校を建設することを約束していました。

小学校を建設するために必要なもの

小学校を建設するために必要なものは

  • 現地の要望
  • 教育省など行政の許可
  • 建設費用

などです。

現地の要望

タイトル通りなので、察していただいている方多いと思いますが、建設の始まりはぼくら外国人の「やりたい」ではありません。

あくまでそこに学校がない現実、通えない現実、通わせたい要望。

これらが重なって初めてプロジェクトは動き出します。

教育省など行政の許可

村長さん始め村の方の賛同があれば、よしやろうって訳でもありません。

教育省などの行政に建設許可や公立学校の申請をしなくてはいけません。

建設費用

ぼくらができるのはあくまでここです。建設費を賄えない国の予算の援助。

費用の捻出についてはぼくは、カンボジアの小学校建設費用はクラウドファンディングも活用しました

実際に全部でいくらかかったのか?とか人の金集めて楽しいか?と言われた感想とかはこちらで紹介しています。

カンボジアの小学校建設は人生を変えます

良くも悪くも、カンボジアの小学校建設は人生を変えます。

ぼくは、建設後はカンボジアへ来る回数もペースも減るものだと思い込んでいました。

でも、学校がなかった村に学校ができるってことは、それまでの村の生活にも変化をもたらせます。

それまでなかったものがあるってことは、これまで必要なかったものが必要になるケースがあります。

現地の生活が変わる

例えば、子ども達の通学の送り迎えの時間がお父さんお母さんには必要になります。

自力で通う子達には自転車が必要になります。

いろいろキリがない

「建てるだけ建てたんだから、あとは現地でなんとかするべきだろ」

「どこまで面倒みたらいいんだよ」

そんな声ももらいました。深入りをすればそれはそれで、やりがいも困難もあります。やらなけらば何も起きないけど、気がかりなことも減りません。

結局ぼくは、日本での生活の時間をどんどん減らして、今はカンボジアを拠点に生活しています。

言われることも増える

あと、いらない声も聞こえてきます。

建てる前は「偽善者」「嘘つき」「詐欺」とかも言われたし、建設後も関わっていれば「子どもを見世物に金稼いでる」「貧困ビジネス」とかも言われます。

やっていること知らないくせにうるせーよ!って感じですが、誤解されっぱなしも嫌なので、返信や対応にも時間を奪われることもあります。

思い違いや誤解があるかもしれない

カンボジアに小学校を建設しても一円も稼げる訳でもないし、現地の教育には関われないですよ。カンボジアに小学校建てるだけなら建てない方がマシみたいなこと言う人もいますが、そもそもその後も教育に関わるとする方が問題が出ます。

ぼくは最初からそういうことやるつもりなかったのでいいですが、建設後に自分も先生やれると思い込んでいると現地に迷惑をかけることもあるので、しっかり連携は取ったほうがいいです。

こっちはそんなつもりなくたっていろいろ誤解は生まれるのです。

まとめ

カンボジアの小学校建設は本当に必要か?という記事でも書いていますが、やる意味はあります。

やらないで周りからグダグダ言っているだけの人生より、自分で決めて動いた人生の方が絶対いい。

やった人にしか見えない景色があるから。

繰り返しになりますが、その行動の始まりが「自分のため」なら、やらない方がいいです。

カンボジアの小学校建設はお金にはならない(むしろ使ってばっかだ)し、履歴書に書くようなキャリアにもなりません。

自分の足で歩いて、自分の言葉でコミュニケーション取っていると本当にやるべきことが見えてきます。それでもやろうと思ったなら、やらない理由もまた無いのだと思います。

自分のエゴで始めたことなら、やめるタイミングも自分次第です。

ですが、現地の声に耳を傾けて現地のリアルに寄り添って生きてくると、本当に辞めるタイミングはなかなか簡単には見つからないのです。

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