
フリーランスになってからというもの、ぼくの頭の片隅には、ずっとある言葉が居座っている。
「1日3時間だけ働く」
居座っているだけで、何か手伝ってくれる訳でも生活費を負担してくれる訳ではない。その癖、意見だけは言ってくる。「早く実現してくれや」と。居候ではなく正式な同居人、配偶者にでもなるおつもりか。
つまり完璧には実現できていないのだけど、最近ようやく、そのヒントの尻尾のようなものを掴みかけている。
掴みかけているだけで、まだ掴んではいない。
2018年のうちにこれをちゃんと形にして、時間にもお金にも余裕を持ったまま、やりたいことに全力を注ぎたい。
今日は、その「1日3時間だけ働く」の先にぼくが何を見ているのか、時間の使い方の話をしながら、向こう10年くらいの働き方について書いてみようと思う。
1日3時間だけ働きたいのは、働きたくないからではない
最初に言っておかないと、たぶん誤解される。
「1日3時間だけ働く」と言うと、「あ、こいつ働きたくないんだな」と思われる。思われるに決まっている。ぼくだって他人が言っていたらそう思う。しかし違うのである。
ぼくは働くのが好きだ。仕事はエキサイティングなものだと思っている。本気で思っている。
ただ、1日は24時間しかない。王様にも、ぼくにも、隣の家の猫にも、等しく24時間しかない。平等なのである。平等だからこそ、その使い方をちゃんと考えないと、何年も先を見据えて理想を形にしていくなんてことは、とてもじゃないができない。
ここで余談をひとつ。
百獣の王こと武井壮さんが、何かの番組でこんなことを言っていた。「生活費のためには1日8時間働けるのに、自分のために時間を使う人は少ない」。
これを聞いたぼくは、テレビの前で「確かにそうだな〜」と言った。言っただけでは何も変わらないので、それ以来、自分の能力を高めるための時間と、知らないことを調べるための時間を、毎日必ずとるようにしている。完全に受け売りである。受け売りだが、売ってもらったものはありがたく使えばいいのだ。
で、何が言いたいかというと、時間の使い方の話なのである。
1日8時間働いて今の生活を守っているのなら、その時間を半分以下にして、なおかつ今以上の成果を出せるようにする。そうすれば、浮いた時間を未来の自分のために投資できる。
投資した分だけ、できることや選べる道が広がる。選べる道が広がれば、守れる人も増えていく。ぼくはそう考えている。だから、1日3時間だけ働くという働き方を目指しているのである。
10年後の自分は、何をしているか
10年後の自分が何をしているか。正直、まったくイメージが追いつかない。
子どもがいるかもしれない。親の介護をしているかもしれない。相変わらず好きな時に好きな場所へふらふら出かけているかもしれないし、マイホームのローンに追い回されているかもしれない。
ていうか、フリーランスのぼくにローンを組ませてくれる銀行があるのかどうかも怪しい。怪しいぞ、日本!!!
要するに、わからない。
わからないけど、ひとつだけはっきりしていることがある。身の回りの環境がどう変わっても、世界や日本の情勢がどれだけ個人にとって都合の悪い方向に転がっても、自分ひとりの力でなんとかできる幅を広げておきたい。
ふんわりした言い方になるけれど、「何があっても大丈夫」とドンと構えていられる仕組みを作っておきたいのである。
都合の悪い時代は、10年を待たずに5年後、3年後にやってくるかもしれない。あるいは10年経っても、今と大して変わらないのかもしれない。そんなことは誰にもわからない。
ただ、真面目に働いていれば会社や社会がちゃんと守ってくれる、という仕組みは、そろそろ終わりかけているような気がする。クソ真面目に、がむしゃらに働いても報われない。そういう世の中になるのかもしれない。少なくとも、その気配はもう漂っている。
未来で笑うために、今日のぼくは楽をしない
どうなるかわからない未来だけど、ぼくはそれを悲観しているわけではない。むしろ、どんな時代になっても楽しく生き延びる手段と知恵を持っておきたい、と思っている。
で、その準備というのは、今日始めたら明日にはできあがっている、というような甘いものではない。だからこそ、未来で笑っていられるように、ぼくは今日、楽をしたくないのである。
かといって、目の前の楽しいことを我慢して未来に先送りするつもりもない。我慢して先送りした楽しみは、だいたい先で腐っている。
ただ、昨日と同じ今日を繰り返していたら、やってくるのは同じような明日だけだ。それを何ヶ月も何年も積み重ねてしまったら、それこそ終わりの始まりである。
だからぼくは今日もさっさと仕事なんか終わらせてパブストリートに繰り出し、浴びるほどの酒を飲み、クレープ屋台のおじさんに焼きそば1つ!と虚ろな目でお願いし気絶するように眠りについて、明日の朝ひどい頭痛に悩まされる。
ちがう!!!
だからぼくは、昨日よりちょっとだけ違う自分になるために、何があっても自分に期待できる自分でいるために、自分に時間を投資できる環境を整えようと思っている。
まとめ:1日3時間だけ働くのは、生きる土台を太くするため
浮いた時間とお金を自分に投資して、それ以上の時間とお金を生み出す。ぼくが作りたいのは、そういう循環である。
お金持ちになって豪遊したいわけではない。時間を持て余して縁側で茶をすする隠居生活がしたいわけでもない。いや、縁側の茶は少しうらやましいけれど、それが目的ではない。
本当にやりたいのは、自分が手がけたいプロジェクトを、自分の力で、自分の責任でやることだ。
今の日本には、事業融資や助成金など、いろんな仕組みが整っている。それはそれでありがたい。でも、自分の描いた構想が正しいのかどうかを確かめる実験くらいは、誰の手も借りずに自分の力でやりたい。それがぼくの本音である。
だから、もし「1日3時間だけ働く」が実現したとしても、たぶんぼくはのんびりなんかしない。次にやりたいことが山ほど待っているのは、自分の性格上、もうわかっている。
それでいいと思う。やってみたいと思えることに、どんどん挑戦できる生き方がしたい。
つまり、1日3時間だけ働くというのは、やりたいことをやるための準備であり、生きる土台をもっと太くすることなのである。社会の強い風が吹いても倒れない、根の張った土台。
10年以内にやってくるであろう新しい時代の格差に負けない個人でいたいから、今日もぼくは、ちょっとだけレベルを上げるのである。


















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