仕事を辞めてカンボジアに行った理由

以前、なりたかった体育教師を辞めた理由を書きました。

今回もよく聞かれる「なんで仕事辞めて行った先がカンボジアだったんですか?」って質問に答えてみます。

カンボジアに来た理由は特にない

初めてのカンボジアで泊まったゲストハウス

いきなりズッコケそうな見出しでごめんなさい。

でも、本音なので色をつけずにそのまま書きますね。

前職の教員を辞める時、校長先生からは「辞めてどうするの?」って聞かれてぼくは困りました。

だって、辞めるつもりなかったけど、急に辞めることになったから。

この話は別で書いています。

離任式でいただいた贈り物たち

「急に聞かれても困るぅ!てかもう辞めるって言ったんだから許してぇ!早く帰してぇ!」って内心思っていたことは、今でも覚えています。

カンボジアって言葉が急に出た理由

カンボジアの農村部

教員を辞めた先のことなんて考えていなかったのに、辞めるって言っちゃったぼくに「辞めてどうするか」を問い詰めてくる管理職。

その場しのぎ的に出た言葉が「カンボジアの小学校でも行こうかな」でした。

なんでここがカンボジアだったのか。

もしかしたらフィリピンって言っていたかもしれないし、ベトナムって言っていたかもしれない。

多分ミャンマーとか言っていたら、ぼくはカンボジアではなくミャンマーに行っていたことでしょう。なぜなら、そう言っちゃったから。

ではなぜカンボジアって言葉が出たのかを改めて考えてみると、それは少なからず教育に関する課題のイメージが強かったからだろうと思います。

「なんとなく貧しそうな国」

当時のぼくは、カンボジアのことちっとも知らないままそんなイメージだけで「カンボジアの小学校にでも行こうかな」って言ったはずです。

そのちょっと前には、とある番組でカンボジアに小学校を建てる企画とかもやっていたし、サンクチュアリって漫画では主人公2人がカンボジアの難民キャンプで過酷な幼少期を過ごしたって描写を見ていたので、大変そうな国って印象があったんだと思います。

学校が足りないとか、教育が行き届いていないとか、そんなことをとっさに考えて、そこへ言ってみようとしたんだと思います。

大変そうな国だったら、日本でクレームもらっちゃうような人間でも何か役に立てるかもしれないとも感じたと思います。

「思います」って濁すような曖昧な語尾が続いてしまいますが、なんせ本当について出た言葉がカンボジアだったので、その時の理由とかはっきり覚えていないんです。

なので、その辺の曖昧さは今回は目をつぶってください。

仕事辞めてカンボジアへ行ってみた

カンボジアのお寺

とにかくぼくは、2013年3月末で仕事を辞めて、翌4月にはカンボジアにいました。

言っちゃったからにはチケットを取らないと思って調べて、よく考えずにその場でポチりました。

チケットを取る時、シェムリアップが全然読めなかった。

というかカンボジアの首都がどこかも、何語かも知らなかった。航空券を検索したらシェムリアップがヒットしたので、ここが首都なのかとも思っていた。

それくらい何も知らず、何も調べず、ぼくは飛行機に乗りました。

せっかくだから現地の教育現場を生で見たくて、カンボジアではNGOが運営する小学校のボランティアに申し込みをして参加していました。

ただ、その参加動機すらも「いずれ教員に戻った時」の出汁に使う予定でした。

授業の合間とかで、それっぽく話せるような小ネタとして「昔、俺もカンボジアの学校に行った時にな…」って先生が話し出したら、普通に授業聞くより「おっ!?」ってなりそうじゃないですか。

本当失礼だけど、初めてカンボジアへやって来た時の理由なんて、その程度だったんです。

今やっていることや、カンボジアでやってきたことを先に知ってくれている人には、カンボジアに来た経緯ってなんだったんですか?と目を輝かせて聞いてくれる人が多いので「困っている子どもたちを救いたくて!」みたいな美談が求められている気もしますが、違うものは違うのですいません。

話していることや、ここに書いてあることが本音です。

ただ、関わってみたら置き去りにできないリアルがそこにはいっぱいあったので、結局今もぼくはカンボジアにいるわけです。

カンボジアに小学校を建てている様子

まとめ:カンボジアに来た理由はその場の思いつき

カンボジアの地平線から登る朝日

本当ドキュメンタリーみたいなそれっぽい理由がなくてごめんなさい。

校長室で降ってきた言葉がカンボジアだった

これが、ぼくがカンボジアにやって来たリアルな理由です。

途中も書いたように、閃きや思いつきばかりなのでちゃんとした理由がありませんが、この際なので後付けしてしまえば、結局それも運命かなって思っています。

あの時「なんとなく」辞めますって言わなければ、ぼくはまだ教員続けているかもしれない。

その時は続けたけど、結果その後辞めたかもしれない。

あの時「インドネシア」って言っていたら、今はインドネシアにいたかもしれない。

インドネシアに言ってみたけど「やっぱり日本がいい」って言っていたかもしれない。

戻って教員をもう一回目指したかもしれないし、会社員になったかもしれない。

それはわからない。

わからないけど、どんな道を選んでも自分が幸せだと胸を張れるように生きるしかない。

今、ぼくは幸せです。

教員時代も、これまでのカンボジア時代も、ずっと幸せです。

それは、結局何を選んだとしても、自分の意思で今を生きてこれたから。

誰かに命令されたり、周囲に流されたり、本当はそう思わないのに自分を言い聞かせるように決めた決断ではなく「俺はこうする」を続けてきたから。

カンボジアを選んだ理由は確かに「なんとなく」だったけど、カンボジアへ行くことだって反対する人はいた。

でも、自分で言った言葉を信じて、自分で行動した今だから、今何があっても誰も責めない。

なんとなくやって来たこの土地で、ぼくはたくさんの大切を見つけました。

それもまた人生。

行動すること、好きなことやることに「それっぽい理由」なんてなくても十分楽しめます。

それが自分の意思だったら。

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