
時間や場所を選ばず仕事ができたらメッチャ自由じゃね?と思って追求して感じた違和感の話。
常に身構えていたことへの気づき
旅先でも仕事ができる状態が理想だと思って、それを実現してきました。
でもいつからか「旅に来てまで働きたくない」という感覚が残るようになってしまった…
自由なはずなのに、なぜか重い。
この重さを分解してみると
- 家・仕事・旅で常に「反応できる自分」でいようとしていた
- 物もカバンも服も全てに役割を背負わせていた
- 物を減らしても想定が増えて頭が休まらなかった
お気に入りだったはずの物が、想定から外れた瞬間にお気に入りじゃなくなる感覚が嫌だった。
いつもと同じことをしようと必死だった。
本当にほしかったのは旅の自由
どこでも仕事できる自由がほしかったのではなくて、 仕事をしなくてもいい時間を選べる自由がほしかったんだと思った。
これ、似てるようで全然違う。
旅先でも仕事をするのは、日常モードを持ち込んだまま移動してるだけ。
旅とは本来、
- 意味がなくていい
- 予定がズレていい
- 今日は何もしなくてもいい
みたいな非効率そのものを味わう時間なんだと思う。
だから「旅先でも仕事できる」は、求めている旅の定義と噛み合ってなかったことに気がつきました。
自由な旅ではなかったんだと。
旅先でしか出せないものを出したい
旅に行ってもいつものペースを壊さないように、と身構えたことで場所が変わっただけのいつもの日常を過ごしていました。
だから出力も感度もいつもとズレない。
その「ズレ」からしか出てこないものがあるのが旅の醍醐味のはずなのに。
今後は旅先でしか出せないものを出したい。
その感覚を養って、生きているだけで自然と出てくるものをそのまま出し続けていきたい。












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