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カンボジア生活終了のお知らせと今後のこと

2013年からよく来るようになったカンボジア。

2016年には小さな村に小学校が建って、2018年からは本格的に住み始めました

初めて来てから約10年、家を借りて住むようになって約5年。

ここでの暮らしに幕を下ろすことにしたのでご報告いたします。

カンボジア生活を終わりにする理由

カンボジアの国道からの眺め

率直にいうと「飽きた」というのが本音です。

カンボジアシェムリアップはいいところです。おいしい食べ物が多いし、1年間ずっと温かいし、物価が安いと感じる場面も多いし、まあまあなんでも揃うけどいい感じに田舎だし、世界遺産まですぐそこだし、そこら中に猫がいるし。

だけどいい部分だけじゃないです。めんどくさいこともあります。

独裁的な国家で理不尽で突発的な政策もあるし、筋の通っていないシステムばかりだし、筋の通っていない理屈の人も多いし、平気でルール守らない人が多い。

もちろんこれはカンボジアだけじゃないのでしょうけど、実際に住んでみたことで感じる部分の中に、自分のポリシー的に譲れないことが多いのだと思いました。

人をどうこういう気はないけど、薄情な人や失礼な人も多い。

カンボジア人は優しいって印象を持つ人も多いと思うし、実際に親切な知り合いも多いですが、自分のことしか考えていない人が目立つようになった印象です。

「そんなことしたら他の人に迷惑になるとか考えない?」
「お前が俺にしたことを今からお前にやっても笑って許せるか?」
「安全運転より大事なことがその液晶画面の中にあるんか?」

みたいなことが続くうちに、「別にここにいる意味ないかもな」「もっと違うライフスタイルがいい」「来たくなったらまた来ればいいや」と思うようになりました。

カンボジアの穴の空いた道の注意喚起

カンボジアにいなきゃいけないことはない

黄色いバーイ・サイチュルーク
名物の黄色いバーイ・サイチュルーク

「飽きた」と感じるもう一つの原因に、ここにいても別にやることがないというのがあります。

自分が住みたくて住み始めたし、いたいからいたのは事実。

自分のやるべきことがここにあると思っていました。

だけど、ふと自分の存在意義みたいなことを考えると「あれ?なんで俺ここにいるんだっけ?」となります。

当たり前なんですがぼくがいないと カンボジアが困るってことは全く持ってないんですね。

だから、なんでここにいるんだろうって思うくらい別にやることもないし、自分でなくてはいけないこともない。

今から新たにここでやりたいこともない。やることなくてもここにいたいとは思えない。

だったらやっぱ、ここじゃないどこかへ行こうという気持ちが強まりました。

2016年に開校したみらいスクールは今年で丸6年。

本来なら今年は最初の卒業生が出るはずでしたが、出稼ぎに行きっぱなしの家も多く子どもの数は想定より増えませんでした。

なので今は、分校扱いで6学年そろっているわけではありません。

最近は学校や村からも特に支援の要請もなく、ぼくがいてもいなくても全く影響なし。

周年祭くらいはこれからもやれたらいいなと思っていますので、毎年10月は周年祭で戻ってくるかもしれません。

見ていて辛いこともある

2022年8月のパブストリート
2022年8月のパブストリート

「発展した」というと随分偉そうな発言に聞こえてしまうかもしれませんが、ぼくが初めてきた10年前と比べても、ここ数年でカンボジアという国は大きく変わったように感じます。

あくまでぼく個人の肌感覚の話ですが、10年前には珍しかったスマートフォンを今では多くの人が持っています。

なんなら2台3台持っている人もいるくらい。何に使うんだろう…。

以前はオンボロのバイクに3人4人で乗っていたのに、最近はその辺のローカル食堂に行くだけでみんな車。

その車も、昔はトヨタのカムリやラブ4の型落ち中古ばかりだったのが今は高級車ばかり。

仕事を頑張ってでかい家を建てる。乗りたい車に乗る。

それを目標に頑張り、実現できることは素晴らしいですが、そういった金で買えるものばかりがステータスになっている気もして、ちょっと見ていて辛い。

本当にほしいものならいいのですが、そうやって金で手に入れるものの目的は大抵、人に見せびらかすなどの自己顕示欲だったりするものです。

もちろんそうじゃない人もいると思いますが、最初は珍しかったものでも多くの人が持つようになったら、再び人の目を引くためのまた別の違うものを持とうとする。

その繰り返しは本当に豊かなのかな?と個人的には思っています。

まあお金の使い道はその人の自由なのでぼくがどうこう言うことでもないのですが、人からどう思われるかのために物欲を刺激されて、本当にほしいかわからないもののために借金をして、多額の利息に苦しむ人がいなければいいんだけどな、と思っています。

カンボジア生活の後のこと

とりあえず一旦日本かなと思っています。帰る場所があるってのは幸せ。

よく海外に住んでいると「日本では不適合者」とか「日本が合わなくて出てきた」と言われることも多いですが、ぼくはそんなことないと思います。

日本でも全力で楽しめる自信がある。

だけど「カンボジア生活最高」とは言えないし「日本が素晴らしい」とも思わない。

「カンボジアいやだ!日本帰りたい!」みたいな感情でもないし、日本でもカンボジアでもそれ以外の国でも楽しく暮らしていけると思います。

ぼくがカンボジアに住みたいなって思ったあの時のように、行きたいなって思った時に行きたいところへ行くスタンスは変わらない。

今は別に行きたいところがないけど、ここにいる理由は本当ないなって思ったので母国へ一旦帰るという選択です。

期間不明の一時帰国。当分は家族との時間を大事に過ごそうと思います。

この先の計画

  • 9月末:彼女がやっているお店は閉店
  • 10月:不用品処分したり退去手続きしたり一時帰国したり
  • 11月:のんびりしたり野球したり
  • 12月:のんびりしつつ本帰国

という感じで考えています。

お店は9月いっぱいまでで、その後不用品等を処分する流れ。

10月末から11月上旬は一時帰国して、日本での住処を確保したり、カンボジアではもう使わないけど日本で使いたいものをまとめて持ち帰ったりする予定。

その後もう一度カンボジアへ戻ってきて、年内には完全撤収しようかなって感じで考えています。

11月にタイで野球の試合があり、カンボジアチームの一員として出場する予定なので、カンボジア国内で練習や練習試合などに参加しながらのんびり過ごします。

日本に帰ってもやることないので、焦らず急がずのんびりやっていきます。

まとめ

ということで、一旦カンボジア生活を終了しますという報告でした。

そんなこと言いながら、またカンボジアで暮らし始める日が来るかもしれないし、全然違う国にいるかもしれません。

なんだかんだ日本の居心地が良くなっていることだって考えられます。

先のことなんて誰にもわからないから、今の感情を大事に生きていこうと思います。

やりたいと思ったことをやればいいし、違うなって思ったらやめたらいい。

継続することも素晴らしいけど、自分の心を無視して意固地になって我慢だらけの日々を続けても辛いだけ。

そんな生活では心も体もおかしくなりそう。

正直に今の暮らしに飽きたので、一旦やめてみて、その後の暮らしの中でまた考えて思った通り生きていく方が楽しそう。

大人になる程に人生は自由で楽しいってことを体現できたらいいですね。

(追伸)帰るに当たって、誰に挨拶して誰には挨拶していないとかもめんどくさいので、誰のところにも挨拶回りには行きません。運良く会えた時がタイミングってことでご了承ください。

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