
「足るを知る」とは言いますが、どうなったら「足りている」と思えるのでしょうか?
何が自分を幸せにし、何が人生を豊かにするかを理解すると、それ以上のことを追い求めなくなり余裕が生まれる。
今回は、十分とは何か?について考えました。
ぼくが思う十分
- 食べるものがある
- 着るものがある
- 住むところがある
- 必要な時に医療が受けられる
これは徒然草でも書かれていることであって、過去700年くらい受け継がれてきたなら、向こう700年も受け継がれるであろう、まさに富の本質。
上記4つがあるなら、それはもう富んでいるといって過言ではない。
つまり、ぼくはもう富を得ています。
思ふべし、人の身に止むことを得ずして営む所、第一に食ふ物、第二に着る物、第三に居る所なり。人間の大事、この三つには過ぎず。飢えず、寒からず、風雨に侵されずして、閑かに過ごすを楽しびとす。
ただし、人皆病あり。病に冒されぬれば、その愁忍び難し。医療を忘るべからず。薬を加えて、四つの事、求め得ざるを貧しとす。この四つ、欠けざるを富めりとす。この四つの外を求め営むを奢りとす。四つのこと倹約ならば、誰の人か足らずとせん。
徒然草:第百二十三段
なぜこれ以上を求めるのか?
とは言いながらも、もっといい物を求めてしまうのが人間の性。
もっといい服、もっといい鞄、もっといい車、もっといい家、もっとご馳走を。
なぜ求めるのか?物に頼っているからです。
それを持てば、自分がもっとすごい人になれたように感じるから。
買いたいという気持ちは、人間の根本的欲求ではなく依存症のようなものな気がしました。
人は物に依存している。
お金を無駄にして物に費やしている。
求めた結果豊かになるのか?
物を持つ時点で物に執着するので、心を乱す原因を増やすようなもの。
これが手に入れば満足するはずと思って手にした物に、心を乱されるなんて本末転倒。
何かを欲しいと思って買った後に、なんでそれを買ったのか理解できず、使われず放置して空間も家計も逼迫させたことがあるのはぼくだけじゃないはず。
欲が大きいから自分を満たすことができないのであって、欲を小さくすれば自分は十分に富を得ていると感じることができる。
求めれば求めるほど、本当の意味での自由は遠のいていく。
今後はどうしていくのか
- 物を買わない
- 買う時のルールを明確にする
- 不要な物を手放す
- 手放す苦労を味わうことで買いたい欲がなくなる
- 必要のないアップグレードはしない
- 自分へのご褒美をやめる
- 自分にとっての1番のご褒美を知り、短絡的な快楽や満足に走らない
- もっと家事をする
- 便利を求めるのをやめ、めんどくさいものを手放す
一言で言うなら、お金とエネルギーを自分に必要ない物に費やさない。
まとめ
好きな家で、好きな服を着て、家族揃っておいしいご飯を食べる。
何かあればすぐに必要な病院へ行ける。
病院へはなるべく行かなくていいように、雨風凌ぐ家があって、好きな布団にくるまって寝れて、手作りのご飯を毎日食べられる。
もう大満足じゃん。
経済的自由を手に入れたい人におすすめの本
今回の記事は中野孝次さんの「清貧の思想」を読んだことで生まれました。
ただ単に節約しましょうとか、質素に暮らしましょうってことが書いてあるのではなく、松尾芭蕉や良寛、本阿弥光悦など昔の人の価値観に触れながら、人としての教養を高めることができる本です。
家計を見直したい人、経済的自由を手に入れたい人、生活を整えたい人にはおすすめ。
















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