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自分で決めない人生は終わっている

えるしっているか だいじなことを自分で決められない人間は 死んでいるのと同じ…

大学生の頃の話なので、今から20年近く前のことになるんですけど、忘れられない出来事の一つに革ジャンの購入の失敗談があります。

当時18か19そこらでバイクの免許を取得し、親に頭を下げて30万円を借りてバイクを買ったぼくは、今度は革ジャンが欲しくなりました。

すると思いが通じたのか、一人暮らしをしていたアパートに祖母からお米が届きます。

祖母は定期的に「ちゃんと食べてる?」と気にかけてくれて、よく食べ物の差し入れをしてくれていたのですが、その日はお米を米櫃に移すと1万円が出てきました。

離れて暮らす孫にお小遣いをあげたくても、子(ぼくにとっての親)に「甘やかすな」と反対される祖母が、苦肉の策でお米に現生を紛れ込ませて送ってくれたのも懐かしい話。

急に1万円の臨時収入があったぼくは貯めてきたアルバイト代と合わせて、バイクへ乗る時にぴったりな革ジャンを買いに行くことにしたのです。

で、次に部活が休みの日に渋谷まで行こうと思ったのですが、その日は予定が入っていました。

女の子と遊ぶ日です。

大学に入ってから彼女のいなかったぼくを心配した友人の紹介で会うことになっていた初対面の人。

ぶっちゃけそんなことより革ジャンを買いたくて仕方がなかったのでキャンセルしたかったのですが、友人の気配りを無碍むげにもできず、その子には買い物をしたい旨を伝えて一緒に行ってもらうことにしました。

当日は革ジャンに頭を支配されているぼく。初対面の女の子をパンクなところに連れ回し、何件かお店を巡ったところで、ようやく予算内で買えそうな気にいる一着と出会えました。

しかしここで問題が起きます。

色が黒と茶色があって、どっちもカッコいい。

何度も何度も着比べて、鏡を見てはどっちがいいか悩んでいましたが、やがて心の中では「いや、黒だろ」と思いはじめました。

だけど黒ってなんだか定番すぎるし、おもしろみがないんじゃないか?茶色の方が大人っぽいんじゃないか?着ている人が少ないんじゃないか?などそんなことばかりが頭の中を駆け巡るようになります。自分がどう思うかよりも、人がどうかばかりを気にする始末。

最後の最後に、一緒にいた女の子に「どっちがいいと思う?」なんて聞いてしまい、その答えが茶色でした。

心では「え?」と思いながらも、聞いた手前「やっぱり…黒にしようかな…」なんて言ったら「じゃ、なんで私に聞いたのよ?」ってなるかもな、いやなるよなそりゃ、俺が逆の立場なら「じゃ聞くなや」って言うよななどと思い、結局ぼくは茶色の革ジャンを買いました。なんで初対面の女の子に質問したんだ俺は…

せっかくの祖母のお小遣い援助もあって買えた革ジャンでしたが、袖を通す度に「なんだかな…」という思いが拭えない。そりゃそうですよね。

心では「黒だな」と思っていたのに、その日に会った人に意見を求めて、その答えが自分の気持ちとは異なっていたにも関わらず、自分の気持ちを押し殺して高い買い物をしてしまったのですから。

実はこの時の女の子とはその後付き合うことになって、デートの日は彼女と出会った日に選んだ革ジャンを着て、バイクの後ろから彼女がぼくに掴まった分だけ革ジャンにはシワが刻まれて、そのシワとシワを合わせて幸せってことにはならないんですね。まったくならない。その日以降、会うことはありませんでした。

だからといってこれが彼女とか気になっている女の子と出かけて同じ過程だったとしても、ハッピーエンドにはならなかったと思う。その子が黒と言わない限りは。

そもそも自分がお金を貯めて買いたいと思うような大切なものの色を自分で決められないこと、人に意見を聞くことが間違いだったのです。

迷うくらいならもっと考えてから決めればいいし、この時は少なくとも自分の中に「黒だな」という意識があったのなら、そっちに従うべき。

結局、汗水垂らして働いて得たアルバイト代と祖母からのお小遣いで買った革ジャンが、ぼくにとってとびきりの一着になることはありませんでした。かと言って当時のぼくには「高かったしな…」と言う思いが強く残っており、潔く手放すこともできずしばらく箪笥たんすの肥やしと化したのです。

手放したのはそれからおよそ7年後。新卒で働いた教育現場を離れて単身海外へ行き始めた頃に、資金作りと身辺整理を兼ねて売りに出しました。

あの時、自分の心に従って黒い方を選んでいたら今でもとびきりの一着として残っているのかはわかりませんし、黒を選んでいてもやっぱりしっくりこないなと思っていたかもしれません。過去に選ばれなかった選択の結末は誰も知らないからです。

人生の選択は後からの自分の行動次第でいくらでも正解にできます。だけどその選択は自分で下さなくては正解にする気も起きない。結局間違ったまま生きていくことになってしまう。

この経験から、ぼくが言えることは以下の通り。

  • 大切なことほど自分で決める
  • 大切なことほど自分で決める

大切なことなので2回言いました。

自分の人生、自分で決めなかったら死んでいるのも同然。という価値観が芽生えた過去の出来事でした。

ちなみにその後妥協なく買ったN1のデッキジャケットは、今でも大切な一着として残っています。10年超え戦士の冬の定番。バイクもまた乗りたい。

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