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自分の行動次第で自分で選択したことを正解に変えられる

旧ブログで公開した記事を加筆修正して再公開しました

ぼくは基本的に人生の中で巡ってくるいろんな選択や決断そのものに、間違いはないと思っています。

休学することも、留学することも、就職先を決めることも、転職することも、起業することも、自分が選んで決めたことなら何も間違っていないと思います。

ただ、その先々で必ず「壁」が訪れます。大きなものから小さなものまでいろいろ。

その壁にぶつかった時、自分はどうしていくか?ただそれだけのことだと思うんです。

行動次第で「正解」は導き出せる

やりたいことだけやっているように思われがちなぼくですが、やりたくないことだってやっているし、思い通りにいかないことも山ほどあります

人生そんなに甘いものでもないし、うまくいかないことをうまくいくように変えていくことにも、人生のおもしろさは詰まっていると思います。

そもそも「できなかった」という言葉一つとっても、とことんやってみたけどできなかったという場合と、ちょっとやってみたけどできなかった場合では全く違います。

目標が達成できたかどうか、やりたいことがやれたかどうか、夢がかなったかどうか。

それは指標の一つであって、中途半端にやった時ほどその指標に届かなかった時、次の一歩は遅くなる。ぼくはそう感じます。

挑戦してみたビジネスが、あらゆる策を尽くしたけど赤字だった。

それは失敗か?と言われたら、ぼくはそうは思いません。

「ビジネス」という目線で見たら失敗かもしれませんが、自分がやろうとしたことをやってみた成果の一つがたまたま「赤字」だっただけです。

もし自分が「起業したい」と思って挑戦したことであれば、やってみたことそれ自体が大成功。

やりたいことをやらずに「うまくいかないかも…」と考えているだけの人と、実際に思った通りにやってみたけど「自分の思う結果にはならなかった」という人の差は結果以上にとても大きな差があります。

この場合で言えば、例え今回は赤字でうまくいかなかったとしても、それを元に次の作戦を立てて行動していけばこの赤字は結果ではなく過程に変わり、この過程があったからこそその先の未来で自分の思い通り繋げていける可能性が広がります。

しかし行動していない人は何も生まれません。

自分が正しいと思った道へ進むだけ

ぼくが行なったカンボジアの小学校建設だってそうでした。

カンボジアに小学校を建てるという一つの言葉には本当に多くの賛否両論があります。

「カンボジアに小学校は不足しているんですか?」

「カンボジアの支援はまだ必要なんですか?」

このような問い合わせも多くもらいます。

不足している場所は不足しているし、必要な場所もあれば不要な場所もある。

それしか言えませんが、そんなわかり切ったことを言っていても何も始まりません。

ただ、「建てる」という選択をした時には、その地域には本当に小学校が必要と言える要素が揃っていたし、建った今ではその学校を建設したことが正しかったと言えるように行動していく。

本当にそれだけのことです。

必要なのは正解を創り出す行動力と覚悟

これだけ生き方・働き方が多様化しているとは言え、世の中には少なからず同じようなことをしている人たちがたくさんいます。

ですが「覚悟」を持って動いているか、なんとなくやっているか。

それは結局、取り組みや行動に滲み出るものだし、自分次第で変えていくことができます。

人それぞれ、それだけの可能性を秘めているし、なんだってやれる。本気なら。

自分の行動が正しいかどうか頭で考えていたって何もわからないし始まらない。

やらずにわかった気になっている大人になんてならず、自分の頭で考えて行動し続け、自分の決断を自分で正解に変えていきましょう。

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