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1ヶ月で100km走るのやめた

アイキャッチ画像は、先日の東京滞在中に走った皇居のお堀。

今月のやりたいことリストで掲げていた「1ヶ月で100km走る」という目標をやめました。

理由

そんな走り方、楽しくないからです。

100km走ろうと思ったら、単純に1日3kmちょい走らないといけません。

走れない日があると、3km以上走らないといけない日が発生します。

走ることがいつの間にか義務になっとるやんけ。

走ることを習慣にしたのは楽しかったから

「〜ねばならない」という目標設定で楽しめると思いますか?

ぼくは楽しめなかった。

そもそも、なぜ好きでもなかったランニングを習慣化できたかというと「走るの楽しいな」って思えたからです。37年生きてきて初めてに近い感覚。

楽しいと感じる走り方は、距離やタイムに捉われず純粋に体を動かす爽快感を感じることができる走り方でした。

だから皇居周りを5km走る日もあれば、家の前に停めた車を一周するだけの10mくらいで終わる日もあり、ペースも距離も日によってそれぞれ。

それでも毎日楽しみながら「今日も走っとくか」と思い続けることができていました。

目標は高ければいいというものではない

調子に乗って高い目標、しかもそこに目指したいものがあるわけでもない無駄な目標を設定したことで、走ることが楽しくなりました。

既述した通り「走りたいな」という想いが「走らねばならない」にいつの間にか化けていたからです。

1ヶ月で100km走ると決めた理由はなんだっけ?と考えた時、特にありませんでした。

たくさん走って叶えたい目標があるわけでもないのに、勝手にハードルを上げ、目標を高くし、楽しかったものをつまらないものに自分で変えてしまっていた。

37年生きてきて湧いてきた楽しいって気持ちを簡単に吹き飛ばしてくれるんじゃねえ。

このことから学んだこと

向上思考をやめる。

なんだか世の中は、常に上を目指して向上していくことが良しとされている気がします。

成長していないならやる意味ないとすら思えるほど、特に仕事を一生懸命やっている人ほど、成長や向上に対してストイックな気持ちにさせられる。

上を見ることは素晴らしいし、その状況を楽しめる人はいいと思いますが、ぼくの様に「あれ?これを頑張り続けてどこへ行きたいんだっけ?」と思う人や、そう感じる事柄に対しては無理して向上しなくていいと思いました。

楽しいと思えることが一番。人はずっと上を目指して頑張ってきたのだから、そろそろ違う方向へ向かってみたっていい。

多少無理してでも上を見るエネルギーは、もっと違う部分に当てた方がいい。

意味もなく高い目標で苦しむ方が意味ないと思いました。

まとめ

ということで、今月も残り数日ですが楽しく走ることを継続します。

1ヶ月で100km走ることより、大切なことに気がつけた気がしたので記事にしました。

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