
何事もそうですが、人と比べていると一生幸せになれません。
理由は終わりのない競争になるだけだから。
誰かに勝てたとしても、また別の誰かには負けてしまう。そんなの辛過ぎ。
比べるのは過去の自分くらいにして、もっと今の自分を認めてあげよう。
誰かと比べたらずっと上がいる
どんなに得意なことも、誰かと比べると勝てません。
世の中上には上がいるので、終わりのない比較の世界。
例えば「お金持ち」なら、資産が1億円あったところで、世の中にはもっと多くのお金を持っている人がいるからです。
庶民のぼくからしたら、いや1億あれば十分金持ちじゃんと思うのですが、本人が比較の世界にいたら1億あってもまだ足りません。
こうやって外側から冷静に見るとわかることも、いざ自分がその中に入ると見えなくなってしまうのが人の性。
世界で一番にならないといけないのか
ぼくはかつて「写真家」「珈琲屋」「アパレル」などの仕事をしたこともあります。
いずれも好きや得意が商売になった一例でしたが、毎回言われたことがあります。
- お前よりいい写真撮るやつはたくさんいる
- お前の店より美味しい珈琲屋がたくさんある
- お前の作ったものよりおしゃれで質の高いアクセサリーがある
など。
これらを言われる度に思うことは2つあります。
1つ目が「でしょうね!!!」で、もう1つが「だから何?世界で一番にならないと得意と言っちゃいけないの?」です。
価値は求められる数
どれだけ高価なカメラで高画質な写真が撮れても、どれだけ希少な豆で淹れたコーヒーでも、高価な素材を使ったアクセサリーでも、求められなければ売れません。
逆に、多少画角が変でも、そこらで手に入る豆でも、高価な素材じゃなくても「ほしい」と思われたら買ってもらえます。
価値ってそういうことだと思うのです。
ダイヤが散りばめられたネックレスだって、求められていないなら全く価値がない。
そもそもいい写真も、おいしいも、おしゃれも人によって全然違うのだから。
狙うは自己ベスト
世界で一番とまでは言わないけど、ある程度他人が認めてくれるような実績とか肩書がないと自信を持って名乗れないという人もいます。そんなこと気にする必要ないのにね。
得意な教科は何?と聞かれて「数学です!あ、でも…自分よりできる人はもっといるんですけどね」とか言わなくていいですよね。
学校の勉強では数学が得意!楽器の中ならギターが得意!スポーツの中なら野球が得意!
誰かと比べて文句を言われなくなるまで待たなくても、得意と名乗っていいしそもそも人と比べることでもない。
比べるなら昨日までの自分。自分史上最高の自分を目指して今日もやるだけ。
まとめ
人は幸せになるために生きているのに、幸せになる方法は誰も教えてくれない。
というか教えられない。何が幸せかは人ぞれぞれだから。
誰かと同じような暮らしをしても、それが自分の幸せとは限らないし、むしろそれは不幸への入り口。
幸せの尺度はそれぞれなのに他人と比較していても自分の物足りなさは埋まらない。
なのに誰かと比べたり真似したりして、同じものやさらにいいものを目指す。
手に入れたとしても物足りず、また別の何かを追いかける、というか探す。
そんのやめよう。












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