昨日、長女が初めてパジャマのボタンを全部自分で留めることができました。
「自分でやるね」が最近の口癖になっており、昨日も試行錯誤しながらの10分間。
この時の表情や手つき、仕草が本当にかわいいなあ…ってうっとりすることの連続だったのですが、その場にスマホやカメラを持ってきておらず映像に残せませんでした。
その分、自分の目に焼き付けておこうと思って手を出さず、じっくり見届けたのですがこれがとてつもなくよかった。
カメラに残せない瞬間こそ美しい

昨日仮にカメラが手元にあったとしても、カメラを向けた時点で、自分の目で見たような長女の表情は見られなかったと思います。
カメラがないから自然体でいい顔をする。
どれだけ高速起動のGRⅢを使っていたとしても、撮りたいと思った瞬間はあっという間に過ぎ去っていく。
「撮ろう!カメラ!どこっ?」ってなった瞬間に被写体から目を逸らしては、今日一番の見どころを見逃すかもしれない。
そもそもカメラを取りに行ってしまっては、見どころを逃すだけでなく、昨日で言えば長女の挑戦を妨げることになったかもしれない。
いろんな景色や光景を全部写真に残したいとは思うけど、残せる写真は本当に美しい瞬間ではないのかもなぁ…と感じました。
見返すよりも見逃さない
もし昨日目で見たのと同じ映像がスマホに残せていたら、多分今朝も見返してニヤニヤしていると思う。
その場にいなかった奥さんに見せたり、離れて暮らす両親に送ったりもしたと思う。
だけどやっぱりそれは、自分の目で見届けたから今そう思うわけで、何気なくいつも通り記録していたら奥さんにも両親にも見せるとは思うけど、何度も見返すってしないだろうなと思う。
スマホの中の自分で撮った動画を、あなたは何回見返していますか?
見返すかわからない景色をスマホ越しで見ながら記録するより、自分の目で見逃さない方が大事な気がしてきませんか?
撮らないと公開できない病
ただぼくはブログを書いて生活しているので、どうしても日常のことを写真とセットで言葉にしたいのです。
それもできればiPhoneで撮った写真ではなく、ちゃんとカメラで撮った写真を(Lightroomで補正した後に)添えて、というめんどくさいこだわりつき。
そう考えると、ぼくに撮っては写真を撮ることも生業の一つなのです。
カメラがあるから撮りたい何かを探すし、その何かから思考が巡って、いつの日か誰かに届く文章になる。
だけどカメラがないからこそ見られる絶景も絶対ある、というかその方が多い!
カメラを置いて出かけた日はそれはそれはとても思い出深い日になるのですが、やっぱりアウトプットとは相性が良くなくて、頭に残りまくっている記憶や思考も出しにくい…せっかくいいものが書けそうなのに…これはとっても悩ましい。
まとめ
ということで、昨日は手元にiPhoneもカメラもなかったおかげで長女の成長をじっくりと目に焼き付けることができました。
そしてその体験から自分の文章と写真について改めて考える時間が生まれ、こうして一つの記事ができあがったわけです。
今後はこういう書けない・撮れない時間を増やしたい。
その瞬間がとてつもなく幸せだと気付いたから。
そして、その瞬間のことを余さず書いて伝えられるようになりたい。
写真は好きだけど、写真に頼りすぎず、結局は自分の言葉を磨いていくしかない。
特にこんな時代だからこそ言葉が大事だし、言葉を大事にするために目の前のことに没頭したい。



















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