【ブログ移行中】ここに書かれていない過去の活動は旧ブログへ>>>

応援される人間であることの重要性

アイキャッチ画像は応援中

最近、学生寮での仕事もしているのでつくづく思うことでもありますが、知識や技術を高めることと同じくらい、応援される人間になっていくことも大事だと思う。

どれだけ勉強や部活やボランティア活動を一生懸命やっていようが、なんか応援したくないような人間には、優しい言葉も特別待遇もふとした差し入れも回って来ない。もしかしたら人によっては陥れられることだってあるかもしれない。

それよりも多少アホでも下手くそでも、応援される人間の方が周囲から大事にされ、思いもよらないラッキーに巡り会えたりすると思うからです。

応援される人間とは?

どんな人間が応援されるのか?をぼくなりに言語化してみました。

1.感謝ができる

感謝ってのは自分にとって何か利益があった時だけにするものではなく、日頃から意識して感謝できるポイントを探す訓練が必要だと思います。

なぜなら人は1人では生きていけないわけなので、毎日何もない平凡な日々に思えても、有り難いことは必ずあるからです。小さなことに感謝できず当たり前になっていることが多い人ほど、感謝より先に愚痴が出ます。

また何か目に見えていいことがあった時だけ感謝ができる、もしくはそんなことがあっても感謝ができないってのはまだまだ甘く、自分が得することばかり考えている人間とも捉えられるし、自分のことばかり考えている人は得てして不満や愚痴が多いので、そんな人を誰も応援したいとは思いません。

2.掃除ができる

一言で掃除と書きましたが、ぼくが思う掃除とは「自分で自分のことをやる」ということ。

もっと言うなら掃除ができる=生きていくことだと考えています。掃除ができないってことは生きていく力がないとも言い換えられます。自分のことすら自分でできない甘ちゃん。

自分のことが自分でできると、自分だけではできないことがわかるから、人からしてもらっていることや支えられていることに気づき感謝の心が持てるようになるとも思います。

だから感謝の部分とも結びついていて、感謝ができない人は自分の生活がグチャグチャだったりする。

3.挨拶ができる

挨拶ができないやつは終わっている。挨拶とはその場にいる人を認知する行為。別にすれ違う人全員に挨拶しろとは思わないけど、自分の身の回りの人にはいくら挨拶しても足りないことはない。

挨拶できない人に限って、周囲から求められないことを嘆く商品欲求の塊野郎だったり、周りが自分を嫌っているとか思い込む被害妄想野郎だったりする。

最初は強制でも無理矢理でも何でもいいから挨拶することを習慣にした方がいい。やりながら、そのままの態度では良くないことに気が付く。挨拶することが恥ずかしいのではなく、ちゃんと挨拶できないことがいかに恥ずかしいかに気づくまで。

4.愛想がいい

愛想も大事な要素。先述した挨拶などもすればいいってものじゃなくて、愛想が大事。普通に考えて、愛想のいい人間と悪い人間がいたらどちらに声をかけたくなるかといえば愛想がいい人間です。

ただ愛想は自分の心理状態とも結びついている部分もあるので、一概に見た目の愛想の良し悪しというよりかは、一貫してどういう人かをみる指標にもなると思います。

浮き沈みがあるようでは付き合いにくいので、だったらずっと無愛想な方が表裏のない人間性に思えていいという見方もできる。一方で表面だけ取り繕ってヘコヘコして相手の機嫌を伺うようなことをしても仕方がない。

ただこれもいいことがあったからゴキゲンという感じだと、自分の利益しか考えていない。感謝の心が持てれば、重ずと目の前の人にも愛想良くできることです。感謝している人に無愛想な態度は取れないと思うからです。

5.自分から与えることができる

与えると言っても、プレゼントを送ったりすることばかりではありません。

誰かのご機嫌を取ったりとかそういうことではなく、こうしたら助かるかなって思うことをやったり、実際にやらなくても声をかけたりするだけでもいい。与えられるものは誰にでもある。

挨拶にしても感謝の気持ちにしても自分から伝えられる人は、必ず返ってくるものも大きい。見返りを求めてやることはないけど、返ってきた見返りは遠慮なく受け取ればいいだけなので与えたもの勝ちな世界だと思う。

6.素直・謙虚

何かを指摘された時などに「だって」「でも」「俺だけなくてあいつも」「みんなやってます」などの言い訳や、低次元な理由を並べて自分を正当化しても、何も思った通りにはならないし信用をなくします。

例えば共同スペースにいる人に「消灯時間なので部屋に戻って」と言っても「この課題、明日出さないといけないんで」「自分の部屋に戻ると集中できないので」という謎の言い訳で部屋に戻ることを拒否しようとしたり、閉寮時間中にも関わらず「寮にいたいので開けてください」というよくわからない要求が出たりします。

こういう人たちに、それはできないことを伝えると、やってくれないことによって自分が被る不利益を訴えて同情を誘ってなんとか思い通りにしようとする傾向が見られます。

「家に帰ると料理ができないからといって閉店後のレストランに入りますか?」「自分のやりたいことをやるためなら営業時間外でも開けろといいますか?」と聞くようにしています。

そして大概こういう質問をすると不貞腐れて、じゃもういいですとなって、こちらの言うことに耳を傾けなくなっていく。

別にぼくは君たちからどう思われてもいいけど、そういう態度だと助けてもらえるものも助けてもらえないよと思って見ています。できる限りのことはしてあげたいとは思いますが、自分の思い通りにならない時に不貞腐れたり、それ以前に態度の悪い人間に同情の余地はない。

7.表裏がない

人前では素直に聞いているようにしていても、その人がいなくなった途端に陰口を叩くような裏表のある人間は信用されないし、応援もされないし、何も任せてもらえない。

ネットでもリアルでも面と向かって言えないことは言わない方がいい。もし仮に違う意見を持っているなら、その場できちんと意見を言えばいい。

あと最近は、いかに自分を良く見せるか?みたいな世の中だけど、結局それも本当の自分ではないので必ずいつかどこかで無理が生じる。裏表ってのは信用をなくす。

そもそも裏表があるかどうかは付き合ってみないとわからないのかもしれませんが、信用できるかどうかは長い人生を生きている人にほど最初の印象で見透かされがち。舐めたらあかん。誤魔化せてるって思い込んでる奴ほど、誤魔化せていないことに気づくべき。

8.時間を大切にする

時間を守れない人は、借金を返せない人より信用できないかもしれない、というのが個人的な感覚です。お金はどこかで取り返せるかもしれないけど、失った時間だけは取り返せない。時間はその人の命の長さです。つまり、時間を守らないってことはそれだけ人の命を粗末に扱っているとも言える。

たった1分遅れたくらいで細かいこと言うなよって思っている人、どうせ遅れたらもうあとどのくらい遅れようが一緒、遅れた理由を他人や環境のせいにして走って来ない人などはあらゆる信用を失っています。

何が何でも遅れるなとは言えませんが、やむを得ず遅れてしまう時の対応と走り方にその人の誠意が現れていることは自覚するべきだと思います。

9.責任が持てる

責任を果たすことを逃げる人が多い風潮の世の中ですが、個人的には責任を持つことで自分をどんどん自由にすると思っています。なぜなら責任と自由は表裏一体。みんなが憧れる自由の裏には、必ず責任がついてまわります。

「自由になりたい」と言う人が大勢いますが、責任の取れない行為は自由でも何でもなくただのワガママであり無法者。逆に責任さえ取れれば、方を犯さない範囲で何をやってもいいのです。

それから、もし自由にやっていいなら「本当は自分は何をしたいのか?」がわかっていないと、自由を与えられたところで何もできません。何もできない、何をしていいかわからなくなると、人の気を引くために突飛な行動に出たり、時間をいたずらに無駄にしたりすることにもなります。

それも自分の選択ですが、必ず自由にやったその裏には責任が伴うことを知っておくだけで、自分が何をすべきか、何をするべきじゃないのかはすぐにわかるはず。

10.その場を楽しむことができる

今目の前にあるもの、置かれた状況などから今できるベストを尽くせる人は最強です。自責で生きているので不平や不満が少ないし、物足りなさを言い訳にしない。

想像力が豊かで、行動に移せてその場を楽しめる人は、周りにいる人も元気にする。

自分を元気にしてくれた人を、人は何かしら別の形で元気にしたくなるものです。

小言を言われているうちはチャンス

こういう話をすると、鬱陶しがられることもあります。中には「別にあなたなんかに応援してもらわなくて結構」と感じる人もいると思いますが、そうやって至らぬ点を指摘してくれている間に何とかした方が自分のためにはいいです。

耳の痛いことを言う人を避けたところで、自分の考え方が変わらなければ行動も変わらない。行動が変わらないなら未来は当然今の延長線にしかないからです。それでいいならそのまま行け。

口うるさいこと言わない人は、応援したり理解してくれているというのも勘違いなので早めに気づいた方がいい。わざわざ嫌な思いしたくない人もいるわけで、何も言わない人というのは優しい人でも理解者でもなく、呆れて勝手に距離を取られているだけです。

それでももし本当に応援してもらわなくていいと思うなら、自分が助けて欲しいことがあった時だけ人に相談するのもやめた方がいい。自分は人のためにはやらないけど、自分が困ったら困っていますと言ったところで「だからなんですか?」と言われておしまいだと思う。

まとめ

こういうことを大事にせず、自分のことだけをどれだけ一生懸命やっていても、もしかしたら周囲はあまり認めてくれないかもしれません。

だってみんなそれぞれ自分のやることがあるってのは当然で、さらに自分がやると決めたことを一生懸命やるなんてもっと当たり前の大前提。普通のことです。

その上で、人が人と生活していく上で必ず共同の問題が出てきます。それを知らん顔したり、人任せにしたり、誤魔化したりしていては応援されなくて当然です。

逆に言うと、応援されるような人間でいた方が、いろんな人が気にかけてくれて自分のやりたいことがやりやすくなると思うので、一見遠回りや無関係に思えてもやっぱり自分のことだけでなく周囲のことまで大事にできる人間でありたい。それが自分のやりたいことを叶える近道だとぼくは思うからです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です