
「英語なんて話せなくていい」「x軸?y軸?俺の将来には1ミリも関係ない」
主に高校時代、そう言いながら勉強から逃げ続けていた北川勇介です。
韓国は今、学歴やら裏口入学やらで揉めてますね。
ニュースの内容は相変わらず、あの頃の勉強と同じくらい興味が湧きませんが、この機会にちょっと勉強や進路について思うことを書いておきます。
家庭内の勉強、就職に対する考え方への違和感
ぼくのおばあちゃんは、ぼくが幼い頃から「勉強を頑張っていい学校へ入りなさい。そしていい会社に勤めなさい」と口すっぱく話をしてくれました。
30歳を過ぎた今でもたまに「海外なんて行かないで先生になりなさい。それが嫌なら市役所にでも…」と言います。
おばあちゃんの言っていたことは理解できるし、孫を心配する愛情も十分伝わっています。
ただ、ぼくはずっと「いい学校」「いい会社」ってのがどんな学校や会社のことを言うのかわからなかったんです。
それが高校・大学と歳を重ねて、自分で物事を真剣に考えるようになればなるほど余計にわからなかった。
失った意欲と勉強する意味
高校生になってすぐに、数学の中間テストで真剣に0点を取りました。
0点て、のび太がとるものですよね?
本物を見たのはこれが初めてでビックリしました。
0点をとった悔しさや恥ずかしさよりも、勉強する意欲を完全に喪失したことを覚えています。
勉強する意欲を失ったぼくは、本当に部活のためだけに学校に行っていたと言っても過言では無いくらいの日々を過ごすようになります。
ただ、追試になったり授業中寝てると監督にチクられて、大好きな野球ができなくなるのでそこは我慢して、いつも追試や赤点ギリギリをすり抜けてきました。
余談ですが、授業中寝ている生徒の態度を部活顧問にチクって、顧問の力で押さえ込む教育方法も嫌いだった。
だって自分には指導力ないって言ってるのと同じじゃん。やり方が汚い。
で、話がそれましたが、点数も成績も高みを目指さない。
追試にならなければ何でもいい。
提出物も期限は守るけど高評価は狙わない。
学校の勉強に対してはそんな意識で、とにかく大好きなものへ打ち込む障害にしないようにだけしていました。
そんなぼくが、当時高校生なりに考え出した進路は「就職」です。
働けば勉強しなくていいという誤解
浅はかだから、働けばお金がもらえる上に、勉強しなくていいとさえ思っていました。
当時のぼくには、思い切りグーパンチ食らわせてやりたい気持ちでいっぱいです。
そんなぼくでしたが、大学へ行くことを決めたのは高校2年の終わり頃。
当時の担任の先生の「お前は東京一回見てこい!」って言葉と「実技があるとこなら大丈夫!」という言葉を信じて、ぼくは高校野球引退後から受験勉強をすることになりました。
「偏差値?何それ?」から始まったぼくの大学受験。
親には余分にお金払わせて、予備校にも通わせてもらいました。
5教科7科目!とか言ってる同級生の横で、ぼくは2教科3種目(現代文、英語、100m走、マット、球技)とか言っていました。
ぼくなりに頑張った大学受験。
平日8時間。休日13時間。
何とか第一志望に合格することができたのですが…
誰のための進路指導?誰のための大学受験?
しばらくして予備校に顔を出すと、続々と合格速報が張り出されていたので自分の名前を探してみました。
「難関大学・有名大学合格者」と書き出されたその下には「○○大学 △△学部 □□くん」みたいな張り出し。
おおおお!!!と思って自分の名前を探すとそこにぼくの名前はなかったんです。
「おい、こら!ここにいるヤツがぼくと同じ大学受けてみろ!筆記で点が取れたって100m走はビリッケツだしハンドスプリングできないぞ!そもそも筆記と実技の両立こそ難関だろうが!」
って事務局に文句言ったケツの青い時期もありました。
別に名前が張り出されないことが嫌なのではないです。
偏差値とか知名度とか、あんたらの進学実績のために生徒の頑張りを勝手に測るんじゃねーよ!
ってことが言いたかっただけです。
大人の裁量で子どもの幸せは決められない
高校教師してた時期も、職員会議で「今年は国公立大学合格者〇〇人以上出しましょう!」みたいな話がよく浮上した。
「何を持ってその目標立ててるんですか?国公立目指す子が〇〇人いなかったら無理やり受けさせるんですか?行きたくもない学校に?」
って空気を読まず爆弾を投下していたケツの青い時期は就職してからも続きました。
そもそも進路指導ってのは、個人に応じた指導や対応が必要で、学校や予備校のステータスのために子どもの未来があるのではない。
子どもの願いや希望に沿って、その実現に向けて寄り添って行くことが進路指導なんじゃねーの?ってのは大人になっても消えなかったんです。
気づいている若者は多いと思うけど、大人の言う「いい学校、いい会社」に行けば将来は明るいかって言えばそうでもないです。
逆を言ったら、滑り止めの学校に通うことになったって、自分次第で未来は明るくすることだってできます。
少なくともぼくの友人はそうだった。
大人はみんな夢の叶え方知ってるの?
今もし、学校の先生に戻ったとしたら「一人ではできないことも仲間がいればできることが増えるからいろんな人に会いなさい!いろんな考え方や価値観に触れなさい」ってことを伝えたいです。
そして湧いて出た興味や関心に向かって「まっすぐ走れ!」と言うことも伝えたい。
大人はいい学校やいい会社へ行かせたがるけれど、その目標に届かなかった時の、夢が叶わなかった時のフォローを知らないことも多いです。
多分挑戦してきた人、挫折をあまり知らない人が多すぎるから。
夢見させるだけ見させて、できなかったら「努力が足りなかった」とか、「次は頑張れ」とか。急に人ごとだもの。
結局一度ハマると、次は失敗できないっていう恐怖観念に襲われたり、失敗したこと=ダメなことみたいな刷り込みが忘れられず挑戦する意欲を失ったりもする子どもまでいます。
あとはやっぱり夢見させる範囲が小さい。
自分が見てきた世界が狭い人が多いから。
日本の中のいい学校、日本の中のいい会社。
別に「海外に出る=成功」では決してないけれど、急に目線を大多数と別の方へ向けたりすると、反対やバッシングされて、大人の価値の中で生かされることもぼくは違和感だったりするんです。
夢見させることへの責任を果たせていないことや、学歴やら職歴を大事にしようとする社会の時代錯誤感こそ問題であるとぼくは思うのです。
結局できたかできないかの絶対評価で、できなかった人の居場所を奪っていく。
ハミ出そうとすると囲い込まれる。
そうやって、人が人を追い込んで行くこと自体社会の損失だとも感じます。
だから挑戦できない若者が増えてきている。
だって大人が挑戦していないから。
そんな大人が子どもに影響を与えているわけだから、当然といえば当然のこと。
かと言って「夢があるやつ最高〜!」とか「やりたいことやらなきゃ損でしょ?」みたいな薄っぺらいこと言う気もないですが。
まとめ
勉強することの意味を学生時代に見出せなかったぼくですが、あの頃の自分にはっきり言ってやりたい。
「お前はたまたま第一志望に受かっただけ。そんなことはどうだっていい。だけど、自分で立てた目標に向かって目の前の嫌なこと、苦手なこと、やるべきことから目をそらさずに、継続して努力してきたこと、それこそが未来のお前の財産だよ」って。
野球が好きなぼくが野球で努力できたのは当たり前。
でもそうやって身につけた本気になる癖、努力する癖、そして諦めない癖は、その癖の使う方向が勉強とか仕事とか、使う方面が変わるだけなんです。
野球を通じて有名選手になれなくても、結果が出なくても、自分が定めた目標に向かって本気になって努力を続けた日々こそ、将来に繋がる大切なものだよ。
「今の自分」では超えられない壁をいくつも超えて、超えられなさそうだけど諦めないで走ってきた人は知っている。
頑張った先に何があるのかを。
だからこの先もきっと挑戦をためらわない。
偏差値とか、有名無名関係なく、走り出そうとする人の気持ちがわかるし背中も押すこともできる。
だから人のことを偏った色眼鏡では見たくはないんです。
そして、大人になった今だからこそわかる「勉強することの意味」をもっともっとわかりやすく子ども達に伝えて行きたいです。
ぼくが子どもの頃わからなかったことがわかる子どもが増えれば、それだけ世界はもっと明るくなる。のかもしれないから。
ばあちゃん、勉強はできないぼくだけど、ぼくは自分が行ってよかったって思える学校へ行けたよ。
会社には行ってないけど、自分で選んでよかったって思える仕事をして自分の人生を歩いているよ。
そしていい仲間までいるよ。ありがとう。







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