鶏のおかげで早起きなカンボジアライフ。前日に遊んだもっくんがシソポンへ帰るってことで、行きたい方面が一緒なので車に乗せてもらいました。7時集合とこちら都合のスケジュールに全く文句を言わない優しい男です。
最初に向かったのはシェムリアップで一番おいしいと思っているクイティウ屋さん。奥さんと2人で旅の前から絶対行きたいと言っていたお店の一つ。シェムリアップでおすすめの朝ごはんです。
国道6号線。バイクで何百往復もして走り慣れたこの道を、車で連れて行ってもらうと感じることはたった一つ。「めっちゃ楽!!!」
優しい男の優しい運転に娘も安心しているのか、窓から見えるカンボジアの景色を堪能。
シェムリアップからおよそ1時間。やってきたのはみらいスクール。
ちょうど9年前の今頃、この場所に穴を掘り始め、レンガを積んで学校のなかった村に学舎ができました。
当時の現地調査で見込まれた子どもの数より、現状の子どもの数は少なく学校は昨年から休校中です。
子どもの数が増えなかった原因はいくつかありますが、タイへ出稼ぎに行った人たちが戻ってこないことが大きな理由。
どこで働いてどこで暮らすかは本人たちの自由なので、他人が口出しすることでもありませんが、村の人口そのものが少なく、空き家も多い現状です。
もう一つの理由が、若者の村離れ。
ハタチ前後の若者が進学や就職を機に街の方へ出て行っています。もしかしたらそのまま村に戻らず、結婚をして新しい家族と暮らしていく人たちも増えるかもしれない。
この村でのプロジェクトに関わってくれた人たちならわかるかもしれませんが、ハタチ前後の子ども達とはソパイ、チャンダ、スライモン、ナリン、パンナなど。建設当時11〜13歳くらいだった子達が、今は大学進学や就職で村を離れています。
「村の人口が減っている」「若者が村を離れている」という側面だけを読み取ると村にとってはマイナスな印象を抱くかもしれませんが、裏を返せば人生の選択肢が広がったという見方もできます。
2013年、1人の少女の交通事故死と「学校には行ってほしいけど危ない思いをしてまで行かせたくない」という村の声から始まったロンデン村の学校建設プロジェクト。
学校に通えず、村の中で家の手伝いをしながら1日を終えていく日々。読み書き計算ができずに働きたくても働き場所が限られていた過去、十分な収入を得るためには出稼ぎしか手段がなかった昔とは変わり、頑張って遠くの学校へ通う子ども達と都市部へ向かう青年達。ちゃんと卒業して中学、高校、大学と進んでいく現実。ソパイやナリンは英語も話せます。
そんな彼らの背中を見て学ぶ、またさらに下の世代が育つことが本当の意味での教育なのかもしれないです。
多くの人の支えで実現した村の学校でしたが、この学校で直接学んだ子も、日曜日にやっていたフリースクールの子達も、通ったわけではない今の小学生たちも、自分の意思でそれまでになかった選択と決断で生きている現状。
みらいスクールとしては継続的な学校にはなりませんでしたが、今でも顔を出せば村のみんなは笑顔で迎えてくれて「うちの子は今どこで何をしている」とか「あそこの家の子は結婚して子どもがいる」とか「あの時まだ小さかったあの子が今ではバイクに乗る」とか嬉しそうに話をしてくれます。そんな話が聞けるだけでも、ここにプロジェクトを起こした意味はあったのかなと思っています。
この場所がこれからどう使われていくのかは、おそらく子どもの数次第。学校としての使われ方がなくなったとしても、村人と教育省の人たちが考えて好きにやってくれたらいいです。
そしてこの村とこの場所の未来を、これからも遠くから見守っていようと思います。
何があっても味方でいてくれたミニーとチャンダのお母さん。「ユスケにもやっと子どもが生まれた」と喜んでくれました。
チャンダの弟のパニャ。礼儀正しい好青年になっていました。
みらいスクールからさらに走ること1時間。やってきたのはWat Phneatというシソポンのお寺。
ここに何をしに来たかと言うと、奥さんが昔飼っていたリクガメがいるのです。名前はウラシマ。
猫と一緒に奥さんのお店にいたウラシマですが、亀の急成長ぶりや本帰国なども相まって面倒が見切れなくなってしまい、昨日も遊んだとっちゃんがシソポンにあるお寺に相談してくれて引き取ってもらえることになりました。
そんなウラシマと再会。ちょっと見ない間にデカくなりすぎでは?
とっちゃんの話ではウラシマがこのお寺に来てから亀見たさに訪れる人が増えて、ちょっとした観光地になっているらしい。この日も大人気でした。
しかも来る人たちがウラシマ用に野菜を持って来てくれるそうで、それを食べることでウラシマが更に成長中。訪問者が増えてお寺も潤い、ウラシマはお腹いっぱい食べられて、見に来た人は亀が見られて楽しいと三方良し。
来た人がエサを差し出しても特にエサに釣られる様子がなかったのですが、奥さんが名前を呼びながら近づいてエサを差し出したら体の向きを変えて近づいて来ました。たまたまかもしれませんが、もしかしたら覚えているのかも?とか思ってみたり。
最後まで飼えませんでしたが、ここで大切にされながら幸せに暮らしてほしい。
元気そうなウラシマと別れて再びもっくんの運転でシソポン中心地へ。娘はピックアップトラックデビュー。風を感じて楽しそうでした。
お昼を食べる前にCapitolの事務所に行って帰りのバス代の手配。もっくんは14時から仕事とのことで、帰りはシソポンからバスで帰らなくてはいけないのです。1人6.25ドル。
で、もっくんおすすめのタイ料理のお店へ。
シーフードパッタイ。
スパイシーバジルチャーハン。マジでどっちもおいしすぎて、これが近所にあるとか羨ましい。
食後はカフェに入って時間までのんびり。
もっくん、一時帰国時も名古屋に遊びに来てくれたりしたからか、娘が懐きすぎ。もっくんも嫌がらずずっと相手をしてくれました。
もっくんと別れてバス乗り場へ。
14時半のバスを予約して、14時までにはバス停に来てってことでしたが、バスが到着したのは14時45分でした。これもカンボジアあるある。
バスを待っている間に爆睡した娘は乗車と同時に起きて、車内はずっと大はしゃぎ。大人はバスで寝ようと思っていたけど結局一睡もできず。これは子育てあるある。
シェムリアップまではおよそ2時間の道のり。バス降車場には図々しい態度でしつこい勧誘をしてくるドライバーがたくさんいるので、速やかにGrabを呼んで帰路へ。
途中激しい雨が降って来たのですが、最初に指定した場所より遠くまで快く送り届けてくれたので、最後にチップを渡しておきました。
一旦家で休憩したり娘をお風呂に入れたりした後、夕飯へ。
この日は居酒屋大という日本食の居酒屋で大のオーナーのクニさんと、Cafe Roly Polyの深井さん夫婦と。
楽しすぎてあっという間の時間でした。子どもがいなかったら朝まで行っちゃうくらいだったと思いますが、子どもがいるおかげで終わりが自然と決まっており悪ノリしすぎないまま宴もたけなわとなりました。
大好きな人たちとはずっと一緒にいたくなるけど、もっと一緒にいたいくらいの方が次がまた待ち遠しくていい気がする。住んでいた頃からかわいがってもらってる兄さん姉さんたち、また遊んでください。
そんな感じで朝から晩まで会いたい人と行きたい場所へ行き尽くした1日。帰ってから家族3人、気絶しました。
次の日
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