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当たり前すぎるのに多くの人ができていない健康の秘訣

娘が歩くようになって公園へ行く頻度が増した我が家

前回、人生を豊かにする方法として3つの要素(高い目標設定、高いエネルギー、心身の健康)があり、そしてそれらは互いに隣り合って関連しているのではなくピラミッドのように階層として積み上がっているという持論を書きました。

で、その土台には心身の健康があって、健康でないと高いエネルギーが生まれず、高いエネルギーがなければ高い目標も達成できない。つまり人生を良くしたいなら、まずは健康になることを目指すべき!

「じゃどうしたら健康になれるのさ?」ということで今回は健康の秘訣を書きます。それはそれはもう…手垢のつきすぎた当たり前の事実。

健康の秘訣

  • 規則正しく十分な睡眠
  • 健康的な食事
  • 適度な運動

なんとおもしろみのない…。こんな回答はAIだって書ける…つまらないって思ってページを閉じられるかもしれない…けどちょっと待ってほしい。

言いたいことはわかります。

「俺が知りたいのはそういうことじゃねえ」という声が聞こえてきそうなクソつまらない結論から申し上げてしまいましたが、とはいってもこれが人類の長い歴史の中で受け継がれているもはや普遍の事実。

そんな普遍の事実がありながら、なぜこれほど多くの人がそれを実行できないのか?わかっているのにできない(やらない)には根深い理由がありそう…

わかっているのにできない理由

じゃなんでやらないのかということをぼくなりに考えてみると、そこには思い込みがあるからです。

どんな思い込みかというと「健康的な生活って地味でつまらなそう」「楽しくなさそう」という思い込み。

  • 規則正しく十分な睡眠
  • 健康的な食事
  • 適度な運動

これらを実践しようと思ったら、例えば華金の楽しみを失いそうですよね。

話題のうまいものを食べ尽くしたい、夜は浮かれて騒ぎたい、翌朝はぐうたら寝ていたい。

日々頑張っているんだから、このくらいいいじゃないかって思いますよね?ぼくも思っていました。むしろこういう楽しみがなかったら、何のために頑張っているんだ。人生は楽しむためにあるのに、健康を手に入れたところで楽しみがなかったら意味がないじゃないかと。

そう思い込んでいました。

健康的な生活をしようと思ったら、夜遅くまで遊ぶことはなくなり、食べるものに気を使うようになり、朝から眠い目を擦って運動しなくてはいけないなんて、ストイックすぎてトップアスリートかお坊さんですか?何目指してるんですか?ってなりそう。

そう思い込んでいました。

お金を払って不健康になりお金を払って健康になろうとする

ぼくの場合はナイトライフ(飲んで食って騒ぐ)という狭すぎる世界にしか楽しみを見出せていなかった。

そしてそういう誘惑だらけの世界では、お金を使えば簡単に幸せになれる気がして、どんどんのめり込んでいく。だけど楽しいのは本当一瞬だけで、目先の快楽に溺れた結果、翌朝から体が重いだるい胃がむかつく頭がいたい。

これって本当に手に入れたい人生ですか?

今思うとそんなはずないのに、この時はまだぼくは気づけなかった。

食べたいものを我慢しない、飲みたいものを我慢しない、遊びたいなら我慢しない。

そうやってやりたいことを我慢したくないという自分の欲求に従って、不愉快さを我慢していたのです。

やりたいことを我慢している人生は決して幸せではない気がして、やりたいことをやってきたけど、そのやりたいことって本当にやりたいことではなくて、目先の快楽に負けているだけで。

その多くは大して重要ではないことで、やった結果別の我慢をしていたというなんともとほほな話。

健康的な生活をすると楽しみや華やかさが失われる気がしていたけど、その先には健康という何にも変え難いものを失う道が待っていたことに気がつきました。

ここでぼくは気がつきました。

過去のぼくはなぜか、お金をかけて不健康になり、その結果お金をかけて健康になろうとしたのです。

浴びるほど酒飲んで、タバコ吸って、運動しなくなって、ご飯は食欲のままに食べて、生活は不規則で、何入ってるかわからんものをSNSにアップするために食って飲んで…

たるんだた体をサプリや健康器具でなんとかしようとしてなんともならなくて、ジムにお金かけて。これらの一つ二つ当てはまるのは、多分ぼくだけじゃないはず。

健康も快楽、不健康も快楽

この間夫婦揃って体調を崩し、久しぶりに「体調悪いってこんな辛いんだね」って実感しました。回復した後の爽快さたるや!

そう思うと不健康な道も快楽だけど、健康的な道も快楽だよね。

で、その不調の原因は食べ過ぎ。ここぞとばかりに牡蠣を頬張って胃がもたれて頭も痛くなって寝込みました。

歳のせい?いや、仮に歳のせいだとしても、じゃ若いうちはOKってならないと思うんですよね。

年齢を重ねて体に出るってことは、それは体にとって正直な反応であって、それが出ない若い時が大丈夫なのではなくて無理していることに気が付かないだけ。

気が付かないけど体に負荷は確実にかかっていて、負荷のかかる生活習慣を続けることは見えないナイフで切り続けているみたいなもの。痛みもないけど、確実に体は傷ついている。

その積み重ねは体に残るので、若いうちは大丈夫!ではなく若いうちから習慣に気をつけることが大事なんだと今になって思う。

なぜなら人生は習慣でできているから。

健康も不健康も快楽って書いたけど、不健康の快楽は不健康へつながる行動(Doing)なことが多いけど、健康の快楽って健康であることそれ自体(Being)が快楽。

何をしなくても健康であるだけで快楽を味わえるなら、心も体も整って、その結果何でもやれる。だからやっぱり健康こそが、豊かな人生の大いなる土台だと言えます。

やっぱりアントニオ猪木氏の「元気があれば何でもできる」は人生全てに通じる金言でした。

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