「○○についてどう思う?」と聞かれた時に、瞬時に自分の意見を言えるのかっこいいなって思ったので、世の中のあらゆる物事に対して自分なりの意見を持つようにしています。
意見は答えのない問いにだけ持てる
これは読んだ本の受け売りですが、意見というのは答えのない問いに対してだけ持つことができます。問いに対しての正しい答えがないので、正しい意見も間違った意見もなく、意見は意見です。「私はこう思う」に過ぎない。
逆に言うと、答えのある問いには意見が持てない。「16+27は?」と聞かれて、私の意見は43ですとはならない。あなたがなんて思おうが16+27=43です。
答えのない問いとは例えば
- 大学は無償化すべきか?
- 死刑制度は撤廃すべきかどうか?
- 同性婚を認めるべきか?
みたいなもの。
もっとカジュアルな質問としては
- どの大学に進むべきか?
- そもそも進学すべきか、就職すべきか?
- 2社の内定をもらったらどちらを選ぶべきか?
- 結婚すべきか?
- マイホームを買うべきか、賃貸がいいのか?
と言ったこと。これらに正解はなく、何かを選ぶと何かを失うことにも繋がり、それぞれに短所と長所が見受けられます。
なので「そんなのは時と場合による」「それが合っている人もいれば合わない人もいる」「そうかもしれないけど一概には言えない」というのは意見でも何でもなく、何も言っていないに等しい発言です。恥ずかしいので言うのやめようと思いました。
いろんな長所や短所、メリットやデメリットを踏まえて、それでも自分はどっちか?を言い切ることが意見を持つと言うことです。
意見は必ず偏る
意見を言うと「偏っている!」と反論されることもありますが、そもそも意見とは偏るものです。
先述した通り、意見を言う対象には答えがないので、何かを選ぶと何かを失うことになります。何かに賛成すると言うことは、他の何かに反対することにもなります。
そのため、偏りはあって当然。むしろ偏りがないと言うことは意見がないということ。
人の意見に反応するのではなく、反対なら反対の意見を持つ
先ほども書いた「時と場合による」「人による」「一概には言えない」と言う発言は意見ではなく、誰かの意見に対して反応して揚げ足をとろうとしているだけです。
例えば高校生のアルバイトに関する校則に対して「学生の本業は勉強なのでアルバイトする必要がないから禁止すべき」という意見があるとしたら
- 勉強とアルバイトを両立している人もいる
- アルバイトだって立派な社会勉強の場だ
- アルバイトしないと暮らしが厳しい家庭環境の人もいる
という声が出ることが想像つきます。
こういった反対側の視点は重要ですが、最もらしいことを言うだけでなく自分は賛成なのかどうかまでセットで表明する必要があります。そうじゃないと意見交換にならない。
自分の意見を持つと生きるのが楽になる
今回一番伝えたいことはこれです。自分の意見を持つと、生きるのが楽になります。
逆に言うと、生きづらい理由の一つは自分の意見がないから。意見を持って、楽に生きよう。
自分の意見がある人
意見がある人は自分はどうしたいのか、自分はどうしたらいいのかが、自分でわかっている人です。
意見を持つと言うことは、自分はどうするのかということ。もっと言うと自分はどう生きるか?を考えることでもあります。意見を持つと自己分析する必要もないくらい、自分という人間がわかってきます。全人類におすすめ。
自分の意見を持つと言ってもワガママとは別です。先ほど出したアルバイトの話であれば「校則では禁止されているけど、俺はするべきだと思うので学校規則には従わない」というのは自分の意見を持って行動していることにはならず、ただの無法者です。
自分の意見がない人
一方で自分の意見がないというのは、自分がどうしたいかがわからない人なので、他人に流されやすく、自分で決めることができません。
誰かが言ったことに反応して「いいね」とか「それだとこんなデメリットあるじゃん」と言うことはできますが、だからと言って自分はどっち?と聞かれたら答えられません。
自分の意見がある人とない人の違い
両者の違いは何かというと、考えているか考えていないかです。
知識が乏しいのでもなく、頭が悪いのでもなく、ただ考え尽くせていないから意見が持てないのです。
考えているけど自信が持てないと言うのは、まだ考え尽くせていません。
自信を持って答えられるまで考える癖をつけよう。
意見は変わったっていい
思考を進めていくと、考えが変わることもあります。「最初はAだと思っていたけど、よくよく考えたらBの方がいいわ!」と思えてくるケース。
これは自分で考えた結果なので、何ら問題ないし、誰かに突っ込まれても「考え直したらBだった」と言えばいいだけ。
問題なのは自分はAだと思っているのに、権威のある人とかインフルエンサーがBと言っているから「Bなのかも…」と思って意見を変えること。これだと人に流されているので、自分で考えた意見とは言えません。
誰が何と言おうが、自分は絶対こう!と思えるまで考えたい。
世の中、自分の意見が通ることばかりではないからこそ意見が大事
そんなこと言ったって、自分なんかが意見を持ったところでその意見が通るばかりでもないと考える人もいるかもしれません。
自分の意見が通らないから、意見を持たない、考えないというのは浅はかすぎる。
自分の意見が通らないからこそ、意見を持ち、自分の意見に沿った行動をする必要があります。
逆に言うと自分の意見がないと、自分の意見に沿った行動ができないので、自分が望む結果につながることはあり得ません。
世の中全て自分の思い通りにいくことばかりじゃないからこそ、自分の意見を持っておくだけで、街や世界が違って見えるし、自分の行動が変わります。
行動が変われば結果として世界が変わることに繋がるかもしれない。だから一人一人の意見と行動がこの世の中をよくしていくのです。
自分は行動しないのに、不平不満を言ったり、他人や環境のせいにして現状をどうにか肯定しようとする人でいいんですか?
あらゆることに自分なりの意見を持って、自分の意見に従って生きることが生きやすさであり、自分を楽にする行為。
承認欲求はまず自分が認めてあげることから
あと、承認欲求を満たしたくて仕方がない人がいると思います。そんな人こそ、自分の意見を持ちましょう。
承認欲求自体は、人間の自然な欲求なので否定するものでもないのですが、問題なのは承認して欲しい自己がわからないのに承認して欲しがること。自分がわかっていないことを、他者が理解できるはずもないので、まずは自己理解から始めるべき。
その自己理解に役立つのが意見を持つことで、いろんな物事に対して意見を持つということは、自分がどんな考えで生きているのか、何を大事にしているのか、何を許せないのか、どんな感覚を持ち合わせているのかを表現することです。
意見を持つことでその人の人格が成り立っていくので、自分のどんな部分を人に承認して欲しいのかがわかるので、伝わりやすくなります。
自分の意見がない人が他者からの商品欲求を満たそうとして先走ると、無茶苦茶なことをして注目を集めようとしたり他人に迷惑をかけたりします。それしか選択肢がないからです。
そんな無茶苦茶なことをするよりも、自分なりの意見を持ち、自分で自分を認めてあげることから始めると生きづらさもなくなり、他人の目も気にならなくなります。
まとめ
今回は意見を持つということ、意見を持つと生きるのが楽になることについて書きました。
自分がどう考えているかわからないけど、目の前の現象に何か違和感を感じるとストレスになります。
そういった何かの事象に対して、自分はどう思うのかをもっと言葉にする。そうすると自分はどうすべきかが明確になり、行動しやすくなります。
自分の意見に従った行動をしていると生き方も楽になる。自分の言動が一致するというのは心地いいからです。そう言った行動の積み重ねが、自分を理想の未来へと繋がっていく。つまり世界は自分の考え方次第。
社会問題に対する答えのない問いはなかなか難しいですが、少なくとも個人に関わる答えのない問いへの選択は自分の行動でいくらでも正解にできるから大丈夫。
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