自分が信じている価値観とは全く違う価値観に対して、つい否定するような気持ちが湧いてくるけれど、自分とは違う価値観を見せられているのは、自分の中にもそれを選択する可能性があるよという潜在意識からのメッセージである。1人では経験し尽くせないことを、周りの人を通して実現させている。
という文章を読んで感じたことがあるので言葉にしておきます。
思えばそんなことばかりだった
ぼくは今までそんなことばかりでした。
周囲で見かける変なやつ、つまり自分からしたらありえないやつを見て、心の中でバカにしたり、ドン引きしたり、怒ったり、冷めた目で見たりしていました。
- ながらスマホするやつ
- どこでも声やリアクションがデカいやつ
- 人まで悪びれずゲップするやつ
- ウインカー出さずに曲がるやつ
- ウインカー出さずに車線変更するやつ
- 移動中にゲームしてるやつ
- ジムで鏡見ながらプロテイン飲むやつ
- 堂々と立ちションしているやつ
- 堂々とツバを吐くやつ
- ポイ捨てするやつ
- やらない理由を並べるのが上手なやつ
- すぐやらないやつ
- すぐSNSのアイコン変えるやつ
- 絶対トヨタの車なのにレクサスのエンブレム貼っているやつ
- スーパーとかで子どもを引き釣り回して説教してるやつ
- 完璧主義者
パッと浮かんだだけでもこのくらい。
マジであり得ないって思っているのに、もしかしたら自分もする可能性のあること…だと?
気づけば人をジャッジしてばかり
自分もする可能性があるかどうかは一旦置いておいたとしても、目の前の人に否定的な感情を持つってことは、無意識的に人をジャッジしてしまっているってことですよね。
俺は、人をジャッジしてばかりいる人間だったのか…。
人をジジャッジばかりいると、人からどう思われるのかで悩みやすくなります。
なぜなら人を当たり前にジャッジしているから、自分も人からジャッジされることも当たり前になっているからです。
そうは思っていないと思っても、無意識下でなんらかの影響は与えています。
人の目を気にしていると、行動に躊躇が生まれる。
本音ではなく、人の目を気にして生きるようになる。
つまり、生きたい人生を生きられない。
そんな人生でいいんですか?
ぼくは嫌です。
クラウドファンディングの時もそうだった
カンボジアに小学校を建てた時にクラウドファンディングを使いました。
そしたらこんなことを言われましたりしました。
それを聞いて感じたことは「じゃ、お前は何があってもクラウドファンディングするなよ!!!」でした。
否定したことはできない。
つまり人がやっていることを否定していると、将来の自分はその選択ができなくなる。
将来の可能性がなくなる。
今は「そんなこと選択しねえよ」と思っていたって、将来はどうなっているか誰にもわからない。
日々自分も世の中も変わっているのだから、x年後も今と全く同じ価値観なんてあり得ない。
だったら人のことは否定しない方が、自分のためだと思いました。
これからどうしていくのか?
目の前に変なやつが現れるのって、心のどこかでそういうことを気にしているからですよね。
多分今までもそういう人は目の前に現れていたはずだけど、気になるように感じるのは思うところがあるからです。
例えば「グッチの財布ほしい!」と思っていると、グッチの財布やカバンを使っている人がやたら目に入るようになる的な感覚。
なので、自分の価値観の中であり得ないことする人を見たら、以下の二つに着目してみます。
- 行動の裏の理由や感情
- 自分の心
この人はなぜそんな行動をしたのだろうか?という理由や感情を考え、もし自分がその状況や気持ちだったらどんな行動をするかを考えてみます。
また同じような行動をとる可能性はありそうか、それはどういう気持ちの時に起こりそうか、なぜそういう気持ちになるのかなどを考え、目の前で起きている出来事を自分ごとで処理してみようと思います。
そして起きたことを否定せず、肯定的に捉えられるようにする。
まとめ
人をジャッジしないで生きていく。
関連書籍
この記事は以下の本を読んで行動した結果、生まれた記事です。
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