
怒る人は、怒りたいから怒っている。
そしてその怒りの根源は、目の前の事象ではなく自分ということに気が付いていない。
猫がうざい
ここ最近、好きで飼っているはずの猫のことがずっとうざかった。
いなくなってくれればいいのに、とさえ思ってしまった。
物を壊したり、その辺で吐き散らしたり、壁に傷つけたり。
本当いい加減にしろよこの野郎と思っていた。
それがなくても猫がいるせいで、いろいろ不自由だと感じる。
家を長期で空けることができず、旅の自由が損なわれている。
窓から出ていって、そのまま帰ってこなければいいのにと何度も思った。
猫がいなくなれば自由に旅ができる?
そうじゃなかった。
シンプルにお金が足りない。
旅にかかるコストは、生活コストよりも大きい。
生活だってこの先不足なくやっていけるか不安なのに、単発の旅ならともかく、旅の継続、本当の意味での旅の自由の獲得に自分はまだ程遠い。
とここまで書いた時点で「あれ?猫のせいにしてるけど、自分の問題では?」と思った。
旅ができないのは自分の稼ぎの問題なのに猫のせいにしている。
自分の弱さや情けなさのせいではないと言いたいかのようにしている。
本当に旅がしたいなら、自分で稼いで猫をペットホテルに預けたらいいだけなのに。
問題は猫ではなく稼ぎ。
そこを見て見ぬふりしている。
それは猫以外にも
誰かの何かに怒りたくなるのは、自分の弱さから目を逸らして、そこに向き合わなくていいようにするためでは?と仮説を立てた。
他人にケチをつけて、それを問題にして、話題を自分の弱さから逸らして、自分のダメな部分に注目が集まらないようにしているのかも。
自力で思い通りにできない自分の弱さに怒っているのに、認めたくないから周りの何かに対して怒っている。
そりゃ怒りたくもなるよねと言われそうな、正当性のある何かに話題をすり替えて、人のせいにして自分を守りたいだけ。
猫以外にも奥さんの些細な言動、絶賛イヤイヤ期な長女、変な運転する輩、話が長いし説明が下手すぎる医者、謎の絡み方してくる近所の人のせいにして、自分の快適さが損なわれていると信じ込む。
やりたいことの大半はお金で叶う。
怒っているのは周囲の人のせいじゃない。
自分の弱さを認めたくないから、怒れる対象を探して周囲が目につくだけ。
俺が出すからいいよと言えれば、誰かのせいにすることなく、やりたいことをやれる。
自分の弱さを受け入れることが自由の始まり
怒りたくないけど、ムカつくことがあるんだから仕方がないと思っていた。
だけど本当にムカついている相手は、理想と大きなギャップがある現実の自分。
そのギャップを埋めるためにやることやらない自分。
そんな弱い自分を認めたくないから、怒る対象を自分以外の誰かにしていた。
ごめんなさい。







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