言葉と写真はセット

父の日に買ってもらったシュークリーム

撮りたいと書きたいはセットだな、とふと思った。

どちらも「残したい」がそこにはある。

残さなかった感情は消えていった

6月に入ってから移動距離も増えたりしたので、本当は浮かんできた思考からの気づきとか自分の感情を毎日ブログに出そうとしていた。

書きたいことはEarPodsで音声入力で残したり、紙に書いて残したりしていた。

だからその時浮かんだ言葉は残っている。

だけどそこで深く踏み込まずにメモで止めてしまった分、その時の感情は思い出せないものが増えてしまった。

思い出は振り返ることができても、その時の気持ちで書くことはその時しかできないのだと思った。

自分はどうしたいのか?

  • もっと自分の気持ちを表現したい
  • 書くことを習慣にしたい

ここ1週間ほど、書くことから遠ざかってしまっている。

何をしているかというと、AfterEffectsに再び凝り始めている。

稲妻とか炎とか作ってウオーってなって遊んでいる。

これも一つの自分の表現なので、やっていることが無駄とは思わないけど、どうしてももっと言葉を大事にしたい。

そのために何をするのか?

もっと書きたい。

もっと書きたいなら、もっと頻繁にシャッターを切ろうと思った。

そのためには、ちょっとそこ行くだけでもカメラを持ち歩く。

視覚的に残した記録を頼りに、その時の自分の気持ちと記憶を振り返りに行く旅。

それがブログになっていく気がした。

なのでもっと書くためには、もっと自分の気持ちに気がつく必要がある。

当たり前になっている感情や景色に目を向ける。

写真はそのヒントになる。

今日のアイキャッチ画像は、奥さんが「父の日だから」と買ってきてくれたシュークリーム。

「いつもありがとう」って言葉が、なんだか心に沁みた。

感謝の言葉は事あるごとに伝えるようにしているし、奥さんもよく言ってくれるけど、今日は余計にくるものがあった。

その理由を深掘りしたら

  • 普段伝えることを、とりあえず言うだけになっていないだろうか?
  • 普段伝えてくれたことを、当たり前に聞き流していないだろうか?

という2点が浮かんできた。

たぶんどちらも流してしまっている気がした。

気がしたとか言って濁しているけど、心は多分わかっている。

それって本当に相手のことを大切にしていると言えるのか?

と思ったら、もっと心を込めたいし心で感じたいと思った。

言葉だけあってもダメだという今日の気づき。

シュークリームはおいしかった。

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