
WordPressを開いた瞬間に、読まれるための文章を書いている。
それは本当のことではない。
書いてきたことはどれも本当なんだけど、どうやって書けばウケるだろうか?と考えている時点で、それは本当のことではなくなっている。
出てきた感情や言葉を、人に合わせて変換しているから。
それを取っ払って、本当のことを書きたい。
本当のことを書くのは怖い
なぜなら今まで以上に自分を曝け出すことになるから。
自分にはとんでもなく醜い腹黒い部分がある。
こんなこと考えてしまう自分はなんてやつだと思うほどに、汚くて浅ましい。
そんな自分を出していいのか?人としてどうなんだ?と思うと書けない。
いや、それなら書ける。まだ書ける。
書いた後に幻滅されたり、お叱りを受けたり、誹謗中傷されるかもしれないと思う方が書けない。
だけどそうやって書きたいことを、書けない理由を勝手につけて書かないでいると、自分がさらにひどく澱んでいく気がする。
我慢で心が捻じ曲がっている感覚。
捻じ曲がっているから、何が本音で本当は自分がどうしたいのかよくわからなくなっていく。
捻じ曲がっていると書いたけど、力で曲がっているんじゃない。
とにかく澱んでいるのよ。なんか浮いてるマーブル模様の汚え泥水みたいな。
本当のことは、ととのう
一方で本当のことを書くと、自分が整っていくのがわかる。
どんなに醜い気持ちでも、思っていることを自分が認識することで、自分にも他人にも余裕を持って接することができる。
なぜか問題は解決していなくても、自分の気持ちを知ることでなんか余裕ができる。
解決しなくても叶わなくても、書いて自分で「ああ…俺はこう感じているんだ」と受け止めるだけで、満足したりする。
満足というか、ちょっと満たされるというか。
少なくともソワソワはしなくなって、落ち着いて行動ができる。
書いててそうだと思った。
ソワソワ。
自分がこうしたいって言わずにいると、ずっとソワソワしているのだ。
ソワソワしているから落ち着きはないし、心がここにないから、目の前の人や物事にちゃんと向き合えていない。
本当のことを書くだけで、そのソワソワは収まる。
書いたことは全部、誰にも無理に見せなくてもいい。
誰にわかってもらわなくても、自分がわかってあげればいい。
本当のことを言ったらどうなるか?という思い込み
さっき誹謗中傷されるかもって書いたけど、それだって書く前の憶測に過ぎない。
要は「こんなこと言ったらこうなるかも?」と相手の反応を勝手に決めている。
相手が怒るかどうかもわからないのに、怒るかもしれないからやめようと思ったりする。
もちろん相手が明らかに嫌がる言葉まで何でも言いたいわけではない。
だけど、「自分がこうしたい」「こう思った」を書くだけで、怒られると思い込む方が相手にも悪い。
まだ何も言っていないのに、これを言ったら怒られるかもとか、嘲笑されるかもとかそんなことを考えている。
腹黒いことを書かなくても、書いた内容がつまらないとか思われるかも?と考えても書けない。
多分これが原体験にある。
つまらないと思われたくない。
浅いと思われたくない。
おもしろいことが言える人、読みやすい文章を書ける人。
こういう称号みたいなのが欲しい。
小学生の頃、お前の話つまんねえと言われた時の惨めな気持ちは、40になるおっさんの心にもずっと残ったまま。
だから書いていて自分がつまらないかもと思うと書けなくなる。
つまらないと言われたくないから、いろいろ飾りを付け足していく。
その内に何が言いたかったのかわからなくなって、書いている内容も書くこともつまらなくなって、つまらないと言われる前に消してしまう。
それは生きていると言えるのか?
本当のことをブログで書く人になる
10年以上ブログを書き続けてこれたのは、自分が体験したことを書くことで生きた証みたいなのが残せると思ったから。
有名人でもないけど、書くことで誰かに知ってもらえて、つながって広がっていくことができるから。
だけど読んでくれる人が増えたことで、読んでもらうための文章になっていた。
読んでもらいたいから、読みやすいのは大事。
わけわからん話以上に、読みにくい文章は疲れるから。
だけど読みやすいか?と、どうやったら読まれるか?は違う。
さっき「つまらないと思われたくない」と書いたついでに、この程度で?と思われたくない気持ちもある。
この程度で?と言われたくないから名乗れないことがあった。
これはカメラを仕事にしていた時のトラウマ。
カメラも言葉もそう。
上には上がいると思うと、自信を持って名乗れない。
名乗れないから、ますます何をやっているのか伝わらない。
伝わらないから知ってもらえない悪循環。
本当のことを書き続けていればPVも知名度も気にならない。
これからはブロガーですと堂々と名乗る。
こうやって宣言文を書いた手は小さく震えている。
本音は震える
これはコーチングで体験したことでもある
コーチングセッションを続けているうちに、本当の自分の気持ちに気づく瞬間がある。
その気持ちの表層には、普段違う言葉や感情がくっついているのだけど、それを一個ずつ剥がしていって感情の深層に辿り着いて出てくる言葉。
あ、こんなこと考えていたんだという発見というか再発見というか。
本当は知っていたけど、そうじゃないように巧妙に違う言葉に言い換えたり、思い込んだりして聞こえないふりをしていた自分の本当の言葉が奥底にある。
それを口にする時、震える。
そのくらい本当のことには威力がある
その威力を使って、今までの自分では行けなかったところまで行く
自分の言葉の力で行く。
すごいと思われなくていい。
つまらないならそれでいいから、ただ感じたことを書けばいい。
まだまだすごいと思われるために書いてる。
全然すごくないのに。
すごくないのに、すごいと思われようとしていることを自分が知っているからどんどん歪になっていく。
今後は、それを消していく。
とか言ってこう書きながら、「こういう思考系の記事はnoteで有料記事として限定公開した方がいいのかな?需要ありそう」とかまで考えている。
一方で各場所を広げても管理ができずに嫌になってしまうのが目に見えているから、ブログで全てを出すのがちょうどいい。
だけどもっと本当のことを書きたいことは本音。
自分の中の本当のことの威力を信じて、自分の言葉で生きていく。
あと自分の本当の気持ちをちゃんと書くためには、いろんな言葉をもっと知りたいので、広辞苑を買おうと思う。








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