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自由な人生とは

よく「自由な人生を生きたい」とか「自由でありたい」という人がいますが、結局それってどんな人生?自由ってどんな状態?って思ったので、ぼくなりの自由と自由な人生について考えてみました。

何かストレスや制限がかかっていると不自由に感じる

自由を考える際に、どんな時に不自由を感じるのかを考えてみたら、何か制限がある時な気がします。

何かしなくてはいけない状態。

自分がしたいことをしている時は自由を感じ、自分がしたくないこと何らかの外部からの強要でやらなくてはいけないことをやっている時が、ぼうにとっては不自由。

自分が思った通りにできないから、そこに自由はなくストレスがかかっている。

自由になりたい=どんな制限から解放されたいか?

つまり「自分はどんな制限から解放されたいのか?」を考えると、自分にとって本当に自由な人生を描いていける気がしました。

解放されたい制限は多すぎない方がいい

ここで解放されたい制限を考える際に注意したいのは、絶対になんとしも逃れたい制限2〜3個に絞るということです。

その理由は、多すぎると条件が細かくなり達成が困難になること、もう一つは本当に優先したい願望の可視化です。

あれもこれも欲張ると本当に何が大事かは見えにくくなるし、そんな何でもかんでも叶うような好条件を見つけるのはハードモード。

結婚相手とかでもそうですが、身長が高くて、性格が良くて、顔が良くて、学歴が高くて、実家が太くて、収入が多くて、女遊びしなくて、家事もできて…と条件を増やすと「そんな相手いねえよ」「ってかそこまで条件突きつけるお前はどんだけだよ」となってしまいます。

なので「性格の良さと趣味が合うかは譲れない」など、自分にとって優先度の高い絶対条件を決めることで叶えやすくなるからです。

ぼくなりの自由

ぼくの場合は

  • 働くこと
  • お金の不安

要するに労働とお金問題から解放されたら、ぼくにとっての自由は手に入る予感。

働くこととお金って直結していて、生活していくためには働かなくてはいけない。これがぼくにとってのストレス。

生きていく上でお金は気にしたくないし、生きるためにやりたくもない仕事をしなくてはいけないのはとても不自由。

働かなくていいし、お金の心配がない。この2本軸がぼくにとっての自由でした。

補足:お金の不安がないこととは?

お金の不安がないからと言って、ぼくの場合は買いたいものを何でも買える状態とはイコールになりません。

富豪のように不動産をいくつも所有したり、豪邸に住んだり、高級車やヨットを持っていたり、ブランド品を身につけて美女をはべらかしたり、毎月旅行へ行ったり、グルメを食べ尽くすみたいなことがしたいわけではなく、自分と家族が必要最低限の文化的な生活が送れていれば不安は解消されます。

なので、このような生活をしないと気が済まない人は解放されたい制限がぼくとは違うので、自由の定義も異なってきます。

それってどんな状態?

  • 生活のために働かなくていい
  • お金の心配が死ぬまでない

このような状態を作れたら超最高。ぼくは自由になれます。

自由になるために、今準備を進めています。

それってどんな状態かを一言で言えば、FIREです。経済的に自立しして早期退職。

45歳までには投資による配当金が生活費を賄えるように資産を形成して、ぼくなりの自由を獲得します。

自由を手に入れたら何をするのか?

自由な人生は、ゴールではなく手段であり過程です。

自由な人生を手に入れてハイおしまいではなく、手に入れた先の人生で何がしたいかが大事。

目標達成のために必要なことは、目標を達成した後の自分がどんな生活をしているのか想像すること。

イメージできることは叶います。なので、自由を手に入れた自分の人生をイメージしたらほぼ叶ったも同然です。

後はイメージした未来の自分と現状の自分を見比べて、目標を達成した自分はどんな人間かを考えて、その人間になれるように努力あるのみ。何をするかではなく、どう在るかが大事。

夢を叶えるための具体的な行動は、夢を叶えるにふさわしい生き方をしている人の思考から生まれます。今のままの自分では辿り着けない未来へ行くために、今から生き方を変えていきましょう。

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