
遥が生活しているホームステイ先のママさんが、連日プノンペンで遊び呆けているらしく、代わりにご飯はママさんのお姉さんが作ってくれてるらしいんだけど、手抜き感がすごいとこの人が朝からうるさいです。
こちらもちゃんと申請して、お金払って泊まらせてもらってるんだから、ある程度ちゃんとしてほしいものですね。言っておきます。と遥をなだめる朝。

そんなホームステイ先で最近面倒を見てくれるママのお姉さんが、朝からゆなの髪でなんかやっていました。
本日の作業現場

何かお気に召さなかったのか、ゆなは帽子をかぶって参上。
今日は地味に教室内の片付けから始まりました。

外側の水色も埋まってきた。

教室の前に色がつくとまた雰囲気が変わってきて、なんとなく全体的に明るく見えていい感じ。

屋根が埋まってくると、教室の中が意外と暗かったのがびっくり。
当たり前っちゃ当たり前なんだけど、そんな当たり前を忘れていた。

電気もない村なので、頼みの綱はお天道様の光。窓を開ければそれなりに明るい。
いつかはこの村にも電気が通るのだろうか?もし通らなくて教室内が暗いなら、遙に住み込んでもらって授業中は自転車漕いで発電してもらおうと思う。
遙の太ももが発達して、そのままカンボジア人に帰化して、競輪選手として世界を目指すのはどうですか?なんて妄想をした。

学校の景色が大きく変わってきたからなのか何なのか、ここ数日でフラッと様子を見に来る村人も増えた感じ。

遊びに来て「ユスケ!学校の色キレイだね!」って親指立てながら話す子ども達が本当に嬉しそう。

たまに感じることなんだけど、村長始め、村人の理解があってこそできる部分って本当に大きいなって思う。
この村に出入りし始めた3年前。
最初は全然笑ってくれなかった人たちと、今はとってもへたくそなクメール語で笑って会話している。
多分、カンボジアに限らず、国外で働く時にどれだけシステムが整備された大企業でも、おそらくぶつかるの現地の文化や国民性。
でも「ぼくがお金を出しているんだから従いなさい」ってのは通じない話で、もっと行き過ぎると支援「してあげてるのに」とかって勝手なこと言いだしたりするんじゃないかってくらい、文化の壁は大きいように感じる。
でもぼくは「支援してあげている」なんて微塵も感じてなくて、この学校建設はたくさんの試練を与えられて、自分の未熟さを磨くために始まった運命なんだと感じるようになった。
ぼくが残しているのは学校の形だけで、本当に与えられているのは、ぼくの方だったりする。
これに関してはまた詳しく書くけど、楽しくないと続けることなんてできなくて、そこに愛情を注げなかったら本物は創れない。
今本当に毎日がとんでもなくしんどいくせに、毎日とんでもなく楽しい思いをさせてもらっている。
なんかよくわかんなくなちゃうからこの辺で。
とりあえず何が言いたいかっていうと、期限までに終わるのか?っていう不安だけ。
もう今は本当それに尽きる。

帰り道から見える学校。
屋根が進みすぎて景色がやばい。トリハダ。

※過去記事を加筆修正して再公開しました(2025.4)
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