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やりたいことがコロコロ変わるのはダメですか?

旧ブログの記事を加筆修正して再公開しました

「今後どうして行くのか?」という、ぼくに関してのビジョンや未来の話はよく聞かれます。

ぼくは昔から興味関心が幅広く、ただその分飽きやすくどれも中途半端になりがちな性格でもあるので、「お前、言ってることすぐ変わるな」と言われたりもします。

まあ多分そうなんだろうし、人が自分をなんて思おうがどうでもいいのですが、コロコロ変わるなって言葉に違和感を感じて仕方ありません。

やりたいことって変わったらいけないんですか?それってダメなことなんですか?

つい先日もそんなこと言われたので、今日はそんなことを書いてみようと思います。

やりたいことが変わることについて

まず主観的な意見から述べると、ぼくはやりたいことがコロコロ変わることに関して、ダメなことだとは思いません。

「やりたいこと変わりすぎ」っていう周囲の言葉に少なからず違和感を覚える以上、何か一つのことだけをずっと続けるってぼくには不向きなのだと自己解釈しています。人には向き不向きがるわけなので、ぼくの不向きな部分をそんな指摘されたって無理なものは無理。

逆にいうとコロコロ変わるってそれだけ瞬発的に思ったことを言葉にしつつも、同じことを考え続けて本当に自分のやりたいことを探求している証でもあると思うんですよね。

ただやりたいことが変わっても、ぼくの本質的な部分というか根っこのような部分は大して変わっていないとも思うのです。

ぼくがここ数年持ち続けているのは

  1. 世界中を飛び回りながら北川勇介という個人名で勝負できること
  2. 大切な人の大切なヒト・コト・モノ・バショまで守れる人間でありたいこと

この二つです。

本当にやりたいことをやるために今やることは変わる

だから今やっていることは、本当にやりたいことやるための準備期間でもあると思っています。

そう考えると今目の前でやろうと考えていることって、結局は本当にやりたいことをやるためのツールに過ぎないというか、手段であって今やっていることをやること自体が目的ではない。

ぼくは今「文章と写真とコーヒーとものづくり」を武器に仕事をしていますが、ブロガーとか作家とか写真家とか職人になりたい訳ではないんです。

ただ、食い扶持はいくつも持っておかないと、世界中を飛び回ることもできないし、大切な人の大切なヒト・コト・モノ・バショを守る前に自分の生活すら守れなくなったら生きていけないからやっているって感じです。

そして、大切な人の大切なヒト・コト・モノ・バショを守るための方法も時折変わってきます。

カンボジアの小学校建設なんてその際たるもので、ぼくはカンボジアに小学校をボコボコ建てたい訳ではなく、縁があった村の子ども達の教育の機会と安全を守りたかっただけです。

建設し終わって開校から2年目を迎えた今は、関わるカンボジア人も増え、そのカンボジア人達が自分たちの力だけでは解決が難しそうな課題を共に乗り越えられる仕組みづくりに奮闘しています。

その作ろうとしている仕組みの内容も場所も本当様々です。

やりたいことが見つからないことについて

「そんなに簡単にやりたいことが見つかっていいですね」とも言われます。

やりたいことが見つからない人の相談に乗るのは得意です。やりたいことが見つからないことも、そんなにダメなことでしょうか?

「お前は簡単にやりたいことが見つかるからそんなこと言えるんだよ」って思われるかもしれませんが、どっちにしろ周囲はとやかく言ってきます。

やりたいことがありすぎると「何か一つに絞れ」と言われ、やりたいことがなければ「もっと幅広く興味持て」とか。

むしろ、やりたいことが見つからないってのは最強な状態でもあると個人的には思っていて、何か一つに決めてしまった人より可能性に満ち溢れていると思うんです。

こうやって書くと、何か一つに決めた人からも何か言われそうですが、結局言いたいのは、やりたいことがあろうがなかろうがそんなこと自体はどうでもいいということ。

大切なのは、どんな選択をしても、どんな状況でも不安とかから逃れられることは容易ではなくて、選んだ道を自分の行動で正解に変えて行くしかないし、受け身でいても現状は何も好転しないということ。

不安を打ち消すにはやるしかない。その道が変わろうが、変わらなくても選択と行動を自分で繰り返していくことなのだと思います。大きく言えばそれが人生なのかもとか思ったり。

まとめ

これからの時代を生き延びようとしたら「好きなこと」や「得意なこと」を追求して行くことが、一番確実なのでは?と思うようになりました。

好きなことして生きていくことだって決して楽なことではないし、ぼくもそうでしたが自分の「好き」とか「得意」が果たして社会的に価値を見出されて収入化できるかは不安でした。

ですが自分が夢中になって取り組めることにはいろんな要素が詰まっています。

楽しみながらやっている時が一番成長する。野球を始めた時にコーチからそんなことを言われました。

好きなことや得意なことで人の役に立つことで、また自分というものが確立され、認められていく。やってみたけど違うならやめて、変えて、また違うことをしたらいい。

そう思うと変わらないってことも問題では?と思ったりするのです。

どれだけ本気になっていても、周囲はなんだか賑やかでいろいろ言われることもあるかと思います。

周囲とは少し違うことや、世間や常識と違うやり方していれば尚更。

そしてそれが継続できると、少なからず注目は集まって摩擦も生じてくる。

でも、そんなこと気にして生き方変えていても、誰も自分を守ってくれません。

だったら、自分が信じた道を自分で責任持って進んだ方が、人生は何千倍も何万倍も楽しく豊かになる。あなたが幸せになるためなら、あなたは何回変わってもいい。

ぼくは、そう感じます。

著:ジュリア・キャメロン, 翻訳:菅 靖彦
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