6月21日〜23日で、CTIのコーチングスクールに行ってきました。
一言で言うなら「バランスをとるとは、移動すること」である。定住は不安定と感じて、移動生活をしてきた過去の自分の感覚は間違っていなかった。
今回の学びを大きくまとめると以下の4点。
- やっぱり自分の直感は信じていい
- 視点を広げると選択肢が増える
- 選択肢が増えると選びやすい
- 自分で決めるという自由
過去のコースでの学びは以下でまとめています。
1.やっぱり自分の直感は信じていい
毎回の振り返りで書いていますが、自分の直感を信じることが自分にとっては何より大事。
なぜなら自分の直感に従った時点で、ほぼ素晴らしい人生が確定するから。
自分の感じたままに進めば、進んだ先で思わぬ出来事があっても全て自責として向き合えます。選んだことを自分で正解にしていくことができます。
しかし他人の言う通りにしたり、人に期待されている自分を演じると疲れます。そして思わぬことが立ちはだかると「こんなはずじゃなかった…」とか「なんでこれやってるんだっけ?」となる。
他人の言うとおりにした方がいい場面もあるのは間違いない。だから「あ、この人の言う通りだな」と自分で感じたらそれに従えばいいけど、自分で決められないから他人の言う通りにするとか、自分の言う通りにしない方がこの人は喜ぶと思う生き方はよろしくない。
自責で生きていくのが一番楽でワンダフル。
2.視点を広げると選択肢が広がる
今回のワークは「視点を広げる」ということを中心にやりました。
多分日常の中でも「別の視点で見るとどうなるか?」「違う視点から見てみよう」と発想することがあると思いますが、実際視点はどうやったら変わり、広がっていくのかはわからない。
変えたつもりが同じような視点で見ていることもあるので、発想も広がらず、物事の捉え方が変わらず現状に大きな変化は起こせない。ということもあるかと思います。
人は無意識的にも意識的にも、物事をどう捉えるかを自分で決めてしまっています。
例えばぼくの場合「成長:苦痛や犠牲を伴わないと成長しない」と言う視点。だけど人によっては成長は最高のご褒美と考える人もいるし、成長なんか必要ないと考える人もいれば、ぼくとは逆で成長は楽しんだ先にあるものだと考える人もいるかもしれません。
どれが正しいとかではなくて、同じ「成長」という事柄を見ても、捉え方は人それぞれであり、それはその人自身が選択した見方であるということ。
そしてそんな見方を、自分で変えることができるのです。
3.選択肢が広がると選びやすい
上記の成長の捉え方は人それぞれと書きましたが、実際には自分の見方を変えるだけでいろんな捉え方もできます。
ぼくは同じ成長という事柄に対して「楽しんでも成長できる」「制限があるからこそ工夫して成果を最大化する」「人に負けないために必要なこと」「自分に負けないこと」「成長なき挑戦はただの愚行」などの視点を持ちました。
そしていろいろな見方で成長を考えて見た結果、一周回ってぼくは「苦痛や犠牲を伴わないと成長しない」という視点を、自分で意識的に選びました。
ここ数年、ずっと穏やかで楽しい毎日の実現を目指してやっていたけど、ヒリヒリするものを選択したい自分がいる。なぜなら自己を成長させることに、この上ない楽しみを感じるからです。
もっと言うと成長した自分こそが、自分にとっての楽しい世界を作るのだと心から期待しているからだと思います。
自分が成長していないと、何をやっても楽しくない。自分に挑戦し続けたい。
4.自分で決める自由
成長の視点を一つしか知らないのと、あらゆる選択から選んだのでは同じ視点でも意識が異なるので、視点を変えて自分で選んでみてよかったと思います。
そういった意味で自分の中での新たな定義としての苦痛とは、そこに飛び込むのにヒリヒリするような感覚のもの。犠牲とは、本当にやりたいと思うこと以外を切り捨てること。
ぼくの好きな言葉の一つに「人生何でもできるけど全てはできない」があります。
まさに成長のためには決断が必要で、自分には何が必要で何が不要かを見極めた方がいい。やらなくていいことはやらない。
ぼくは趣味があまりないけど、人と話す時に余計に無趣味だなと思う。いろんな話題を拾える人にすげえなと思っていたけど、自分もそうなりたいとは正直思わない。
興味があることなら広げてみればいいけど、興味がないならないでいい。興味ないことやっているほど人生は暇でもないし、長くない。
人から勧められることをやらないという決断は、一つには頑固で世界を広げることを拒むような側面もあるけど、自分を信じることの方が大事なので、どんなにおすすめされても心動かされないものには手を出さない。
その代わり、自分が大切にしたいことにもっと注ぎ込む。これこそ本当の自由だと感じました。
これを受けた自分はこれからどうするのか?
今後は自分がどうしていきたいのかを考えたら、以下の4つが浮かびました。
- 目的なく楽しむ
- もっと移動する
- 走る
- 英会話
抽象的なものが二つ、具体的な行動が二つあります。前者が在り方(Being)で後者がやり方(Doing)みたいな感覚。
目的なく楽しむ
もっと気楽にいろんなことに挑戦していいと思いました。これに気がつけたのは、セミナー仲間と走った皇居ランでの仲間からの一言。
「ゆーすけ、目がマジすぎ」
これを言われるまではゆったり走ったり、周囲の景色を楽しみながら走るランニングなんてランニングじゃないと思っていました。そんな生ぬるくやるならやらない方がいいくらいに。
走る以上は自己ベスト出すつもりで追い込まないと、そこには成長がない。走った先に目標がないならやる必要がないと思い込んでいたんですね。あと無意識に前のランナーを追い抜きたくなってペースが上がっていたっぽい。
こういうやり方が悪いとは思いませんが、全てをこうやって捉えていると新しい関心ごとへのハードルが上がるなって気がしたので、もっと気楽に理由なく楽しんでみようと思います。
もっと移動する
ここで言う移動は物理的な移動に加えて、自分の在り方。自分はどう在るべきかを考えた時に何かしら一つに絞ろうとしていたけど、それは逆に不安定ということを学びました。
リトルホンダじゃないけど、そんな感じのやつらが自分の中にはたくさんいて、場面ごとに役立つリトルたちは違う。そしてそれは全部自分なのだから信じていい。
だからこそ一つのリトルに決めつけないで、場面ごとに一番自分を発揮してくれるリトルを選び出すことが大事。大切にしたいものは、別に一つじゃなくていい。
走る
具体的な行動の一つ目としては、2024年12月31日まで毎日走ります。
目的はありません。強いて言うなら、体力つけたら疲れにくくなるので悩んだり落ち込んだり凹んだりすることもなさそう。
健全な体にこそ健全な心が宿るだろう的な、エビデンスのない体育会系の発想です。
英会話
カンボジアから帰ってきて1年半。全く英語を使う機会がなくなりました。
英語使う機会がないのだから、別に英語がなくても困らないのですが、心の奥底にあったのはずっと積み上げてきた言語力がただ衰えていくのを黙って待つ感じ。
自分が弱るのを感じながらもそこから目を逸らし続けて何もしないまま黙って死ぬのを待つ。そんな人生でいいんですか?いいんですか?いいんですか?
いつ役立つのか、この先どこかで使うのか。そんなことはどうでもいい。ただ、自分の心の中にある違和感だけは見て見ぬ振りしてはいけない。
まとめ
自分がなんでコーチングを学んでいるのかを考え直したら「自分に負けない自分であるため」である気がしてきました。
ぼくはこれまでずっと他人と比較したり、競争したり、夢や野望のために何かに打ち込んできました。それはそれで悪くなかったけど、ここからの人生は誰かに勝つためよりも自分に負けないために生きていきたい。
ただ自分と向き合って、自分の限界に挑み続けたい。テーマは小3。誰がなんと言おうとプロ野球選手になれると思い込んでいたあの時の気持ちで生きていきたい。
最後になりましたが、アイキャッチ画像は蕎麦を食べると決めていたのに、流されて食べたカレー。自分の直感に従わなかった戒めとして置いておきます。(カレーはうまかったので、次回も自分で決めて食べます)
コメントを残す