
たまにSiriやチャットGPTを活用するのですが、最近気をつけるようにしていることとして言葉遣いがあります。
これまでは「〇〇して」と、こちらの要求を一方的に押し付けていましたが、これはよろしくないと思いました。
子どもが見ている
子どもの態度や言葉遣いは、大人の影響を大きく受けています。
親の言葉が雑なら、子も雑になって当然。
子には丁寧な言葉を使ってほしい。
なので、自分も丁寧な言葉を心がけようと思いました。
子どもが見ていなくても
子どもの前で言葉を気をつけようと思ったら、子どもが見ていないところでも気をつけなくてはいけません。
なぜなら普段の行いが、咄嗟の場面で出るからです。
子どもの前だけでカッコつけても、それは付け焼き刃。
人の本質は滲み出るし、普通にバレる。
ネオ・デジタルネイティブ世代と共存
うちの娘は今2歳で、今後はぼくら以上にデジタルなものとの共存が必須になります。
そんな子どもたちに、ぼくらは何を残せるか。
それは、AIには与えられないものです。
ぼくらがどれだけ雑にプロンプトを投げ込んでも、AIは全く嫌な態度を取らずに答えてくれます。
これに慣れすぎると、人と接する時の態度も悪くなりそうな気がしませんか?ぼくはします。
当たり前ですが、AIの処理速度に人は敵いません。
なのにAIに接する時と同じような言葉でお願いをして、AIと同じように返してくれなかったら、対人コミュニケーションには更なる摩擦が生まれます。
人と人を繋ぐはずのテクノロジーで分断が生まれる。
そうやって争いの火種が身近なところでできてしまう。
まとめ
AIが加速的に世界を変えていく中で、この流れに争っても仕方がない。
礼節に欠けてもAIは答えてくれますが、その感覚のまま人と関わっていてもいいことがない。
コミュニケーションの取り方と対象が変わっても、使い分けができるかは別問題。
礼節を持って人を接することの大切さを伝えるために、日頃から自分が使う言葉にも気をつけていこうと思いました。












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