
この記事を書いているちょうど3年前の2013年3月30日。
ぼくはそれまで勤めていた、静岡県の公立高校を退職しました。退職を決めたのは、その2週間ほど前だったと思います。それは突然の決断でした。
アイキャッチ画像は離任式でいただいた物たちです。みなさんその節はありがとうございました。
仕事を辞めた理由
辞めた理由は、当時の生徒や保護者からたくさんのクレームが出たからです。
このまま続けていても、自分にも子ども達にも良くないと思って一度離れることにしました。
退職は突然に
なりたくて目指した高校教師。定年まで辞めるつもりもなかった大好きな仕事です。今でも、定職に就いて働くなら「高校教師」しかないと思っています。
辞めるきっかけになったのは、突然鳴った校長室からの電話でした。
翌年度は異動して新天地で働くことがほぼ決まっていたので、次の学校の件で呼ばれたのかと思い、少しドキドキしながら校長室へ向かいました。
そしたら…違いました。
気付いたら言っていた「辞めます」の4文字
校長室で見せられた書類は異動先の学校のことではなくて、クレームが書かれた紙でした。
当時受け持っていた部活の生徒や保護者からもらった、正座やその他厳しすぎる指導へのクレーム。
「え?正座?体罰なの?」と今でも言われますが、体罰です。ごめんなさい。反省しています。もうしません。
紙を見終わった後、校長先生から言われた「で、どう責任取るの?」という一言に、なんだか全てがどうでもよくなってしまったことを覚えています。
「なぜそんな指導をしたのか?」「これは事実なのか?」と聞かれることもなく、ただ一方的に問われた責任問題。
辞めることなんて1ミリも考えていなかったのに、ぼくの口から出た言葉は「辞めます」の4文字でした。
辞めて責任が果たせるわけでも、生徒の気持ちが晴れるわけでもないのは重々承知していますが、ぼくは気付いたらそう言っていました。
仕事を辞めてどうするのか?
管理職側も「辞める」って言い出すとは思っていなかったようで、「え?辞める?」「辞めてどうするの?」って質問が返って来ました。
辞める前提で校長室に来ていません!
何度も言いますが、辞めるつもりもなかったので「辞めてどうするか?」なんて考えているはずもありません。
それなのに、辞めてどうするのか?なんて野暮なこと聞きますね。
気付いたら言っていた「カンボジア」の5文字
辞めてどうするのか考えずに辞めますなんて言ってしまったのなら、これから考えますって言えばいいのに、なんか明確な理由や次の行動がないとイケナイ気がしてその場で数秒考えました。
そこで不意に出た言葉が「カンボジアでも行こうかな」でした。
もうどうでもいいから早く校長室を出たい一心で、滲み出た言葉がまさかその後の人生を大きく動かすことになるなんて。
ちなみになんでこの時出た国の名前がカンボジアだったのかは不明ですが、もしかしたら前に読んだサンクチュアリの主人公たちが、カンボジアの難民キャンプで過酷な幼少期を過ごしたというストーリーを覚えていて、カンボジア=大変な国みたいな印象があったのかもしれませんね。詳しくはわかりません。

無計画に仕事を辞めても何とでもなる
今でこそカンボジアは、ぼくにとってすごく身近な国の一つになりましたが、当時はカンボジアどころか海外旅行にだって興味がなかったです。
出任せでも言葉にしたら人生が動き始めた
その時は校長室にいることにうんざりしてしまい、口から出任せで言ったつもりのカンボジア。
でもその後、校長室から解放されたぼくは体育教官室のパソコンで
「カンボジア ボランティア 学校」
「海外旅行 乗り継ぎ 初めて」
とか一人で検索していました。
言っちゃったからには、形だけでもいろいろ調べてみようと思ったからです。
30分前はどこの学校になるのかでドキドキしていたのに、30分後にはカンボジアの小学校を探してドキドキしている。不思議な感覚でした。
校長室から戻った直後は一人だった体育教官室に、続々と同僚の先生たちが戻って来て「お、次の学校決まったか?」と言われましたが「今、それを調べています」って謎の回答をしていました。
全員から「は?」って言われたことは今でも目に浮かびます。
ちなみにその日の夜、緊急で「北川が辞めるのやめさせる飲み会」が企画されたのもいい思い出。最後までぼくを見捨てなかったみなさん、ありがとうございました。
行動の理由も決め手も特に必要なかった
実際に検索してみていくつかヒットした候補が見つかり、NGO団体に申し込みを済ませました。
「何を基準に選んだのか?」は今でもよくわかりません。
カンボジアへ行くことを決めたら、何だかインドにも行きたくなって、そのままインド行きのチケットも押さえました。
完全に自暴自棄に近いノリと勢い。
行ったら考え方が変わった
実際に2カ国行ってみて感じたのは、このまま帰って体験談を偉そうに人に話したり、SNSに載せる、それってなんか違うよなってこと。
カンボジアの小学校ボランティアも、インドでのマザーテレサの家での介助ボランティアも、帰国した後にもう一度教員採用試験を受ける時になんか人と違うエピソードを持っていたらいいなって思っていたけど、実際に体験した後はそんなこともどうでもよくなってしまった。
この体験から「俺はこれをした後、こうするんだ!」「このためにこれをするんだ!」って行動の前に目的を決めたところで、実際に行動した後は簡単に考えが変わると言うこと。
そう思うと、行動の前に次の答えを準備しすぎることは時間を無駄にしたり、自分の想像力を縛ることにもつながるかもしれないと思いました。
仕事を辞めても死なないから大丈夫
この話をすると、結構な確率で「仕事や収入がなくなる不安や恐怖」について突っ込まれます。
もちろん、不安がなかったかと言われたら不安はありました。
ですが「死にはしないだろう」って心のどこかでは思っていました。
「収入がなくなったから死ぬ」とするなら、死なない方法はいくらでもあると思ったからです。
そこからいろんなことを試行錯誤しながら、手探りでやってきました。
その結果、今もぼくは生きています。
結局何が言いたかったかっていうと「言葉にすれば物事は動きだす」ということ。
そして、ビビりながらでも何でも「始めてしまえば必ず終わりが来る」ということ。
計画的に準備して始まった訳でなくても、自分が想い続けた方に人生は加速するんだと実感しました。
帰国してから「教師にならず、自分で仕事作って生きていくことにします」って言ったら「無理だ」とか「どうやって?」とか「バカか!」ってメッッッッッッッッチャ言われました。
どうやって?と聞かれて、相手を納得させる答えなんて持っていなくていい。だって自分の人生なんだから。
やり方なんて後からでもどうすることができて、一番怖いのは、自分の心の声に従わずに生きて行くことが一番怖いなって思いました。
組織に属さないフリーターのような暮らし、いいことばかりでもないですが、今もぼくはめっちゃ幸せです。
自分で選んだ道の途中に、うまくいかないことは山ほどあったとしても、間違いや後悔はないのだなって思います。
自分の心の声に従いもしないのに、「自分の思い通りの人生」なんて無理だろって。
自分が思った通り生きていないんだから。
そんなことを味わったこの3年間でした。
体験の共有させてください
なりたかった体育教師の道から外れ、その後は縁のあったカンボジアの農村部で小学校を建設するプロジェクトを行ってきました。
金なし、コネなし、人脈なしから始まった海外での活動を踏まえて、学んだことや人生における大切なことをお話させていただく場を募集しております。
特に学校現場で、子ども達に「こんな生き方もあるんだ」と伝えたい先生方がいらっしゃいましたら、ぜひお声掛けください。日本全国どこへでも行き、全力でお話します。
※過去記事を加筆修正して再公開しました(2025.4)
以前いただいたコメント
はじめまして。
今から中東のある国で学校を建てようと思っている者です。
周りから見たらこいつバカだなって思われているんだろうなと思いますが、心の声に従ったらこうなってしまいました。
だからこのブログを読んで感動しました。
「やり方なんて後からでもどうすることができて、一番怖いのは、自分の心の声に従わずに生きて行くことが一番怖いなって思いました。」
そうですよね。多分どうにかなりますよね。ありがとうございました。
富居祥菜 (2021年2月13日)
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