8月16〜18日で東京へ行き、CTIコーチングスクールの応用コースのフィナーレ「シナジーコース」に参加してきました。
初日の16日は、台風7号の影響で東京⇄名古屋間の新幹線が終日運休。
お盆休みで奥さんの実家の埼玉に帰省していなかったら行けなかったので、これは何かあると思いました。
運営側が前日15時までやるかやらないか悩むほどの天候を跳ね除けて、総勢25+1名で作り上げた場は、最高の締めくくり。
今回の個人的な学びは以下の5点。
- 意図を持ち、反応を見る
- 何が起きるかわからないが、現れたものを大切に扱う
- 全ての人に可能性があるが、信じ切るのは目の前から
- 解釈は無限大だけど、事実は一つ
- 認知の力、ハンパねえ!!!
今回のアイキャッチ画像は、ホテルへの帰り道で見えた東京タワー。思えば大学生の頃も、東京タワーと仲間の言葉に元気をもらった学生時代だったなと思い出した3日間でもありました。
1.意図を持ち、反応を見る
コーチングをする上で役立ちそうなあらゆるスキルやノウハウを学んできましたが、結局それらはツールであって着目すべきは目の前の人。
どんな方法で挑もうが、そこには必ず意図が必要。
意図がないと、自己満コーチングになるからです。むしろ意図がないそれは、コーチングとは呼べない何か。
手法にこだわるのではなく、人を見て、感じたことや必要そうな言葉を投げかけるようにしたい。
そして選んだ言葉によって、目の前の人はどんな反応をしたのかを見ることが大事。
反応は必ず起こります。それを見逃さない。
2.現れたものを大切に扱う
その反応は時に期待通りのものではないかもしれません。
というか、反応は期待するものでもないし、予想外のことが起きた時こそコーチングの真髄な気もする。
当てに行くものではないからこそ、余計に何が起きるかわからない。
だけど、何かをすれば何かが起きます。
そうやって現れたものを大切に扱いたい。
これまではどういう話の終わり方に持っていこうか考えることもありましたが、逆算から作るのではなく、常に今ここから、共に場を作っていくという感覚を大事にしたい。
この感覚は、今回のコースで得られた大切な感覚だったりします。
コーチングに台本なんてない。
3.全ての人に可能性があるとは思うが…
基礎コースの時から「全ての人に可能性がある」ということを感じています。
それは間違いない事実だと思いますが、そういった目線でい続けると、近くのものがぼんやりしてしまう感覚もありました。灯台下暗し的な。
「コーチングで、関わる人たちの可能性を広げたい」と思ってばかりいると、実は家族との接し方が歪だったみたいなことになりそう。外と内で人格違いすぎ問題に繋がる恐れも。
だからこそ、信じ切るのは近くの人、目の前の人からにしようと思いました。
だけど、身内に対して思いのこもった言葉ってなんか照れ臭いこともあります。
その照れ臭さが、本当の自分であることの何かを阻害している気がするのでとっぱらいたい。
そうやって自分の器というか、キャパというか、そんな感じのをものを広げながら信じ切れる範囲を広げていく。
そうじゃないと、勝手に人に期待して、勝手に裏切られた気がして自分が苦しむことになりそうな気がしました。
あとは、コーチとしての自分って、家庭にいる時の自分とはどこか違う気もしていました。
どちらが素なんだろうと思ったりもするし、自分の中にはいろんな自分がいるけど、在りたい自分で在ることが大事。
そして在りたい自分は、これまでの応用コースで見つけた自分でした。
4.解釈は無限大だけど、事実は一つ
今回のコース中、やらなきゃよかったかなと感じたことがあり、ちょっと落ち込みました。
ところがその悩みを人に出したら、モノの見え方・考え方が変わり、やってよかったんだと思いました。
何か行動をすると、何かしらの影響があります。
その影響はある人にとっては良いものかもしれないけど、別の人からしたら無くていいものかもしれません。
で、その反応から「なくていいもの」「余計なもの」「やらなくてよかったもの」という解釈をしてしまうと自分が辛くなるけど、中には必ず誰かを勇気づけたり、傷を癒したり、心を育くんだり、気付きを与えたりしていることだってある。
つまり、行動したという一つの同じ事実に対して、どう感じるかは人ぞれぞれで無限大。
そう思えたら、人はどう感じるかわからないけど、良いと思ったことはもっとやろうと思いました。むしろ、やらないなんてもったいない。もちろんそこには配慮も添えて。
そして、やった反応をしっかり見て、やってみたことでそこに現れたものを大切に扱い、目の前の人を信じることを徹底するという、先述した3点とつながっていくんだと思いました。
5.認知の力、ハンパない
コースの途中であったリレーコーチングのアンカーをやりました。
その最後は認知で終わらせろってことだったのですが、認知って何かよくわからなかったので、出てきたままの言葉を伝えました。
見ていた人の何人かから「最後の認知すごくね?」「どうやってその言葉を出したの?」「いつからその終わりを描いたの?」とのお声をいただきましたが、よくわかりません。
むしろあの場は、前に出たのは自分だけど、参加者みんなで受け止められた感じ。
その場の安心感でノリと直感で出ました。
それだけだど薄くて軽いものになるので、もうちょっと言語化すると「人を見れば、自ずと言葉が出てくる」と感じました。
先ほどは言葉を選ぶという書き方をしましたが、マジで目の前の人に集中すると言葉は自然と降ってくる。いや、集中というか、もはや熱狂。
それはパッと出てくるものではなく、そこまでの関わり方も大きく起因しています。だから、あの場はみんなの力が合わさった、まさにリレーコーチングだったって感じ。
目の前の人は、自分にはどう見えているのか、どんな力があるのか、その人は何を心から願っているのか感じ、自分はその人に何を願っているのかを伝える。
たったそれだけのことで、救えるものが山ほどあるんだろうなという想いになりました。
適切に認知されると、人は満たされる何かがある気がします。満たされた人はゆるみ、微笑み、安心し、優しくなれる。
認知をしたぼくを、みんなが認知してくれたことでそう思えました。
認知で戦争が終わると良いですね。
認知に関してもっと勉強したい。のでやります。
ここからの自分はどうなっていくのか
応用コースを終えた自分は今後どうなっていくのか、何をするのかについても書いておきます。
まずなどう在るのかというBEの部分から。
- この人に関わってもらいたいと思われる人になる
- 飛び出せるノミである
- 目の前の人を大切にし、感謝を伝えられる人になる
この人に関わってもらいたいと思われる人になる
コーチとしてどうあるか?というより、1人の人間としての魅力を追求したい。
自分の人生に関わってもらいたいと思われる人生って豊かだなと思います。
人としての魅力を出すには、自分の幅を広げることが大事で、幅が広がると制限もなくなり、制限なく好き勝手やっていると、ますます魅力的に見えて最高のループになりそう。
人格的な部分だけでなく、清潔感など身だしなみも大事。
飛び出せるノミになる
一緒に受けていた仲間から聞いた話で、ノミは本当はめっちゃ高く飛べるけど、蓋をした容器に入れておくと高く飛べないと思い込み、やがて蓋を外しても飛ばなくなるみたいな話を聞きました。
飛べなくなったノミを飛べる様にするには、実験に参加しなかった普通のノミを近づけることで「あ、俺たち本当はもっと飛べたんだ」と気づいて、みんなも飛ぶ様になる。みたいな話。
自分もそうやって、その人が本来持つ可能性に気づきを与えられるノミでありたい。
そのために、自分がずっと高く跳んでいたい。
もっと深く目の前の人を大切にし、感謝を伝えられる心でいる
これまでは目の前の人のことを大切にできていたし、コミュニケーションも取れているし、感謝も伝えている気になっていましたが、足りないと思いました。それなりじゃ全然ダメだ。
もっと大切にし、もっと当たり前のことをちゃんと伝える。
自分がやりたいことだけでなく、相手が何を望んでいるのかも考えて行動する。
常にそういられる様に、優しさの基準をぶらさない心であり続けたい。
これから自分は何をするのか
続いてDOの部分。
具体的に何をするのか、しないのかです。
- やったことないものに積極的に乗っかる
- できない自分を認め、素直に人に頼る甘える
- 人の心に火を灯す言葉を扱う
- 上級コースには進まない
やったことないものにもっと積極的に乗っかる
先ほど書いた「人としての魅力を追求する」のために、幅を広げる話。
ずっと同じことばかりやっていても、深みは出るかもしれないけど幅は出ない気がする。
多少浅くても良いので、もっと幅を広げるために、やったことないことに挑戦していく。
以前やっていた、毎月新しいことに挑戦する企画を再開しようかな。
できない自分を素直に認め、人に頼る甘える
できない人だと思われたくないと思って、人に頼ったり甘えたりすることに抵抗がありましたが、素直に人に頼ります。甘えます。助けてください。
人の心に火を灯す言葉を扱う
ブログ、コーチングに限らず、すべてのコミュニケーションにおいて、人の心に火を灯す言葉を扱います。
心に火を灯すとは、誰かにとっては消えてしまった火の再燃かもしれない。不安な誰かを温めることかもしれないし、走り出すような原動力かもしれないし、背中を押すエールかもしれない。
解釈は無限大ですが、ぼくはこれからも自分の言葉で人の心に火を灯します。
いい言葉より、インパクトを与える言葉を扱えるようになる。
上級コースには進まない
多くの仲間が上級コースに進む様ですが、ぼくはプロコーチになりたいわけではないので一旦ここでストップ。
上級コースよりも、コーアクティブ・リーダーシップというプログラムの方が向いていそうなので、進むとしたならそっちかなといった感じ。
ただ、これに進もうと思ったら200万円くらいかかるんですよね。誰かください。
まとめ
そんな感じで、今年の1月に叔母が亡くなったことをきっかけに本格的に学び始めたコーチングでしたが、非常にいい学びとなりました。
今後はコーチングに専念するというより、手持ちのカードの一つとする感じ。
人の心に火を灯す言葉を扱えるよう、ここで学んだスキルにさらに磨きをかけながら、関わった人たちと豊かな人生を作っていこうと思います。
最後になりましたが、このスクールを通じて出会えた仲間、毎回2泊3日で家を空けるのに快く送り出してくれた奥さん、そして学びの費用を遺してくれた叔母に心から感謝します。
本当にありがとう。これからも、ずっとよろしく。
ゆーすけ、読んだよ!
しっかりと思っていることを言語化してくれてありがとう。改めて勇気付けられたし、あの時震えた感覚がまた蘇って来ました。
俺もゆーすけも、縁があって交わった三日間。また近々どこかで交わることを確信してるので、引き続きよろしく!!
しんちゃん!コメントありがとう!
ここでの縁を大切に、これからもお互いの道をまっすぐ、だけど時に交わりながら突き進もう!
たまには頼ってね!俺も頼ります!とりあえず10月を楽しみにしてる!