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自分で決めたことを続けるのが辛いなと思った時に見返す話

最近、朝走れないことがありました。

理由は猫や子が夜明け前に起きることで、寝不足気味。

起きたくない時間に起こされて、そのままウダウダしていると体がダルい。

起きたい時間には眠たくて、ああもういいかと思ってしまう。

ああもういいか、じゃねえ

全然よくない、と思いました。

今日も眠かったし、なんか体重くて走るの辛いなって思ったんですけど走りました。

そしたら「ああ…俺はなんて幸せ者なんだ」と感じました。

偽善者みたいなことを言いますが、本当に思った言葉なので書きます。

世の中には走りたくないのに走らないといけない人がいる

なんでそう思ったかと言うと、今この瞬間も世界のどこかでは理不尽な出来事から逃げている人たちがいるからです。

雨風凌いで十分に眠ることもできず、お腹も空いているかもしれない状況でも、子どもを抱き抱えてミサイルから逃れるために走らなくてはいけない人がいる。

それに比べたら快適な布団で眠りについて、美味しいご飯を1日3食しっかり食べて、自分の健康のために安全な道を朝から走れるなんてこれ以上の幸せあるかよと思いました。

しかも誰かに命令されて走っているわけでもなく、自分で決めてやっていることなのに。

それがちょっと寝不足なぐらいで「朝から疲れた」「もっと寝ていたい」「今日は走るのいいかな」とか言っている場合かっての。

走るといいことがある

走っているとポジティブな気持ちになり、自分が元気になれることに気がつきました。

走るという行為だけに囚われるときついと感じることもありますが、走ることで椅子に座っていたりパソコンに向き合っている時には出てこないような思考や言葉が出てきます。

つまり自分にとっての走る行為は、自身の健康のためだけでなく、走ることで得られた思考をこうやって言葉にして人に届けるために必要な行いでした。

走ることで、救える世界が広がる。

自分の言葉で人と世の中を明るくしたい自分にとっては必要な行為と言えます。

だったらこれからも走るしかない。走りたい。

だけど、何かしら得ることを期待して走ると、何も出てこない時に「なんだよせっかく走ったのに何も出てこねえじゃん」と思ってしまうので、過剰な期待はしない。

走るを楽しむことを忘れない。

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この記事は以下の本を読んで走ったことで生まれました。

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