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2013年の4月25日、ぼくは初めてカンボジアの地に降り立った。初めての海外一人旅。
大学の卒業旅行や職場の旅行で海外に行ったことはあったものの、そこには必ず一緒に行動をする人がいて、チケットの購入からツアーの予約まで何もかもが人任せでした。
そんなぼくが自分で航空券を買い、ビザを取得し、乗り継ぎを経験し、初めて降り立ったカンボジアのあの日の景色と匂いは、多分一生忘れない。
初めてカンボジアへ行った日のこと
複雑な表情の巧(教え子)が家に来た。仕事休んで、車で静岡空港まで送ってくれた。「なんで先生辞めちゃったんですか?野球やってる北川さんが好きだったのに」と聞かれた。特に答えなかった。「カンボジアから帰ってきたらまた先生やりますよね?」と聞かれた。多分、とだけ答えた。
空港での別れ際に巧が小袋を差し出してきた。中身はブラックオニキスのブレスレットだった。
「本当は笑顔で見送りたいんですけどできません。でも応援はしています。無事に帰ってきてまたグラウンドに立ってくださいね」
涙目の巧に「ちょっと行ってくるわ」と答えて、保安検査場へ向かう。振り向くか迷ったけどやっぱ顔が見たくて振り返った。泣きながら手を振ってくれた。
韓国へ
「ちょっと行ってくるわ」なんてカッコつけたつもりでそっけなく答えたけど、実はビビりまくっていた。なぜならこれが初の1人海外。そして初の乗り継ぎ。
教え子の前では情けない姿は見せられないと思って強がっていたけど、保安検査場を抜けただけで一気に不安が押し寄せてきた。もう戻れないところにいた気がしたから。
乗り継ぎ地の韓国・仁川に到着。乗り継ぎが7時間あるので、一度入国して街へ行くことに決めていた。ビビっているから、本当はそんなこともしたくなかった。大人しく乗り継ぎを待っていればいいのに、なんでわざわざそんなことをしたかというと行くと決めていたから。
自分で決めたことをビビってやらなかったら、この先の旅の途中で起こること全てビビってやらなくなりそうな気がした。だからビビりながらも一度入国してソウルの街へ出た。
街に出て何かしたい訳ではなかった。行ったという事実を作りたかった。韓国っぽいもの食べようと思って、テキトーな店で石焼ビビンバを食べた。普通だった。日本で食えたわこれ、と思いながら食べた。
なんかまだ気持ちが落ち着かないので、iPodで音楽を聴きながらその辺を歩いていたら事件が起きた。人を避けようとしたらイヤホンが何かに引っかかってちぎれた。なんて日だ。
急に誰も知らないところに来てしまった自分にとって、ケツメイシの音楽は心の支えだった。それが初日で聞けなくなった。
早々に空港に戻った。イヤホンがちぎれただけで、街にいるのが嫌になったから。保安検査場を抜けて免税店をフラフラしていたら、BOSEのイヤホンが売っていた。それまで高級イヤホン使ったことなかったから一瞬怯んだけど、すぐ買った。どうせならいい音で聞きまくってやる。
いよいよカンボジア行きの飛行機へ。眠れなくてずっと音楽を聴いていた。飛行機から見た月が丸かった。
カンボジア到着
カンボジアのシェムリアップ空港に着いたのは、予定よりも遅れることおよそ1時間。
飛行機から階段で降りて建物に向かう。飛行機降りた瞬間のモワッとした熱気と湿気。雨と砂の混じったようなニオイ。韓国に着いた時とは比べ物にならないくらい強烈なインパクトだった。ついにカンボジアに来た、という実感が強まった。心の中にいた圧倒的不安が少し減り、高揚感みたいなものがあった。
人生の中でニオイはいろんな思い出とリンクしているけど、このニオイと感情は一生忘れないと思う。
英語が話せないので入国審査場では、怪しまれないようにいつも以上にニコニコすることを意識してみた。相手は無表情だったし何も聞かれなかった。
無事に入国。預け入れた荷物がどこかへ行ってしまっていたらどうしようと不安になっていたら、すぐ出てきてよかった。
日本を出る前にゲストハウスを予約し、空港までのピックアップもお願いをしておいた。
空港から出ると、真っ黒な人たちがうじゃうじゃいた。それぞれホテルの名前やゲストの名前を書いたボードを持ってこちらを見ている。超笑顔で。なるほど、こういう仕組みか。
自分が泊まる予定のゲストハウスの名前を探す。その真っ黒な人の群れの中に「Takeo Guest House」文字はなかった。また不安が押し寄せてきた。
「なんでいないんだ?」
「どうしたらいいんだ?」
「他の人に頼んでもいいのかな?」
そんなことで悩んで空港出口で尻込みしていた。宿に連絡しようと思ったら空港の外にはWi-Fiがない。もう一度建物内に入りWi-Fiに接続。
同意規約みたいなのが英語で何か書いてあるけど、全然読んでもわからない。「使ったらお金が請求されるのかな」なんて思いながら、でも迎えのいない不安が払拭できるならお金がかかってもいいと同意ボタンを押した。
繫ったWi-Fiで宿の予約確認をくれたメールアドレスに連絡。日本語で連絡できるの助かる。
「ピックアップまだですか?」
「もう行きました」
「いません」
「探してください。あなたの名前を書いて待っている」
「いません」
………
「今帰ってきました。もう一度行きます」
「(何で帰った?)ありがとうございます」
しばらく待ったら来た。トゥクトゥクって聞いてたのにバイタクのにいちゃんが来て、なぜか自分だけヘルメット被っていた。俺のは?と思った。ジェスチャーでヘルメットを指さしたら「No Problem」と言われた。プロブレムありすぎだわ。
お腹と背中にバックパックを抱えたまま跨ったバイクは見た目通り小さく、ドライバーも気を使う様子も全くなく、後ろに倒れそうになるのを内股と腹筋で耐えた。この姿勢をどのくらい続ければ宿に着くのかわからなかったけど、途中で思い出した。出発前に本屋で立ち読みした地球の歩き方には「シェムリアップ空港から市街地は8km」と買いてあったことを。長かった。
へろへろになりながら宿にチェックイン。日本時間はもう深夜2時過ぎだった。予約時3ドルって聞いていたピックアップ代を5ドルで請求された。「到着が遅くなったので深夜料金」らしい。飛行機が予定通り着いていても深夜だろ、と思ったけど特に言い返すこともなく部屋に入った。
壊れそうなほどの勢いで回る天井のファンをしばらく眺めていたらいつの間にか寝ていた。
初めてカンボジアへ行った日の翌朝
翌朝、窓から差し込む陽射しと、サウナ張りの蒸し暑さで目を覚ます。これはZEEBRA的にいうと「とりあえずは復活のシャワー ゴシゴシと頭洗いながら ボブの歌かなんか口ずさみ 朝っぱらから風呂場で1人Jammin’…」的な展開だなと思ってバスルームへ。
どうやって使うのこれ。シャワー浴びた後にトイレ行ったらビッシャビシャじゃねえか。と思いながらもミストみたいな水圧のシャワーを浴びた。ボディーソープ全然流れない。
シャワー浴びて再びベッドに横になっていると気がついた。昨夜は自然とファンを回してたけど部屋のタイプをエアコンでお願いをしていたことに。
スタッフの人に聞いてみたら「あなたの予約した部屋はエアコンが壊れてるからファンの部屋に変えた」と返答。そのくせ宿泊料はエアコンの部屋の料金のままだった。
何だか変なのって思いながら、ロビーで朝ごはんを頼む。卵がなんとかって聞かれたみたいだったけど、よくわからなかったので「オフコース」って答えた。頭傾げて変な目で見ながら奥に引っ込んでいった。しばらくしてオムレツみたいなのが出てきた。周りの人の食事を見るとおそらくオムレツか目玉焼きがいいか聞いていたっぽい。
朝ごはんと一緒にシェイクを頼んでみた。床の掃除をしていた雑巾を洗って机の上を拭いてその上でバナナを切っていた。大丈夫かこれ?と思った。
食後にはコーヒーを頼んだ。アイスかホットかって聞かれているのがわかった。「アイス」って答えたら、今は氷がないからホットオンリーだってさ。なら聞くなや。と思った。
食後に街を散策していたら、シェイク屋の前で欧米人に声をかけられた。
「どこから来たんだ?」
「日本!あなたは?」
「オーストラリア!カンボジアは初めて?」
「初めて!昨日着いたばかり」
「俺とシェイクの競争しないか?」
「なんでだよwwwww」
「一番大きいシェイクを早く飲みきったほうが勝ちだ。負けたらお金を払う」
「いいでしょう!」
ビールの早飲みは自信があったけどストロー早飲みは初体験。なんならさっき宿でバナナシェイク飲んだばかり。ダイソン並みの吸引力を誇るオーストラリア人のおっさんにあっけなく完敗して、なぜか飲みたくもない変な味のシェイクを二杯分払った。
そのおっさんが、もう二杯頼み始めた。「え?話が違う」と思っていると「これは嫁と一緒に飲むんだ!」と言ってシェイクを両手に抱えてご機嫌で帰って行った。なんだったんだ。
まとめ
ということで初めてカンボジアへ行った日のことを、当時箇条書きで残した旅ノートからの思い出でした。この後、現地NGOの小学校ボランティアに2週間ほど参加。
この時のカンボジアでの出会いが、この後のぼくの人生を大きく変えていくとは思いもしませんでした。
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