アイキャッチ画像は物書き仲間との楽しいひととき。
ブログを書き始めて今年で10年になります。
10年経って周囲のブログの在り方・書き方もだいぶ変わったように感じますが、最近聞いた話だとどうやらブログを自分で書く時代は終わったらしいです。
だけど今も自分で書いています。おじさん時代遅れですか?
ブログを自分で書く理由
自分の書いた文章で笑ってくれる人がいるのが最高に嬉しいからです。
自分の言葉で人が笑うなんてこんなに楽しいことなのに、そんな素敵な時代が終わったら困っちゃう。
ブログを自分で書く時代が終わった理由はAIなどの技術の発展の影響らしいです。そこに愛(AI)はあるのかい?なんちゃって。
ブログを自分で書くメリット
ブログを自分で書くといいことがあります。
- 頭の中で文章を起こして言語化する力が高まる
- 知識や情報処理能力が高まる
- 瞬時に適切な言葉で発言できるようになる
- 自分の言葉とブログがもっと好きになる
特に自分が感じているのはこの辺。
よく「個の時代」とか聞くけど、本当に個で生き残りたいなら普通に考えて機械に頼って文章能力や読解力の成長をサボってる場合じゃないだろって思う。
あとAIに頼り切った文章作成のしごとって、おもしろいの?そんなの自分じゃなくてもよくない?それこそ替えの効く仕事じゃない?
頭の中で文章を起こして言語化する力が高まる
自分が伝えたいことを自分で考えなくなったら、どうやって人とコミュニケーションを取りますか?好きな人への告白もチャットGPTですか?自分の言いたいことや書きたいことくらい自分の頭の中で理解して、自分で言葉にしたい。
知識の習得や情報処理の能力が高まる
文章を書こうと思った時に、自分が持っている以上の知識や情報が必要になることもあります。それらを調べた上で、コピペではなく自分の言葉で自分の文章に肉付けしようと思ったら、調べた内容をなるべく早く理解して「あ、そういうことね」と自分の中に落とし込まなくてはいけません。
これは文章を読む力や人の話を聞く力とも言えるかもしれませんが、ここの読解をミスった状態で思考しても発言もミスるので、やはり自分の頭で考えるというのは大切な能力だと思います。
瞬時に適切な言葉で発言できるようになる
調べたことを要約したり、感じたことを自分の言葉で話したり、そういう力を養わないまま「自分は何がやりたいのかわかりません」って言っても夢や目標なんて見つからないと思う。
同じ経験をしても楽しいと感じる人もいれば、つまらなかったと思う人もいる。だからこそあなたは今、何を感じていますか?感じたことを言葉にできていますか?「まじですごくやばかった」「めっちゃすごかった」と解釈を相手に委ねる言葉で誤魔化していませんか?
自分の言葉とブログがもっと好きになる
どんな仕事をするにも根底には愛が必要だと思います。機械が考えだした文章で目立とう稼ごうなんて魂胆、そこに愛はあるんですか?自分の言葉を、仕事を、ブログを心から愛していますか?俺は愛してるぞ。
証拠↓
自分の言葉でブログを書いて読んでくれた人を元気にしたい
ぼくがブログを書く理由は、読んでくれた人を元気にするため。
ここでいう元気とは
- おもしろかった
- 役に立った
- 勉強になった
- なんか元気出た
- 声出して笑った
- しょうもねえと思いつつ癖になった
- 刺激もらった
- 自分にもやれそうな気がしてきた
- また落ちこんだら読みにこようと思った
- 会いたくなった
など、いろいろな意味合いを込めていますが、読者が何らかのプラスの感情を持ち帰ってくれたらいいなと思っています。目指せ、読むエナジードリンク。
自分の言葉で伝えられると助けてくれる人も増える
書きながらもう一つ思い浮かんだメリットがあります。こんな閃きもAIはしてくれませんが、人間の脳みそならやってくれます。
自分の言葉で伝えられるもう一つのメリットは、助けてくれる人が増えること。
夢や目標は、大きければ大きいほど自分一人では叶えられません。自分がどうしたいのか、どう在りたいのかを明言する必要があります。
その言葉がわかりやすいと理解者が増えます。熱量がこもっていると応援者が増えます。「周囲にどうしてほしいのか」が明確だと支援者が増えます。そして仲間が増えます。
そうやって自分一人では達成できなかったことも、周囲の協力があって実現に向かっていくのです。
一方で伝わらなければ周りは動いてくれません。伝える力の弱い人に限って「自分のことをわかってくれない」「誰も助けてくれない」「みんな協力してくれない」と他人に責任を押し付けて夢から逃げます。言語化大事。
みんなが簡単なものに走る、そこにチャンスがある
そうは言ってもブログは書くのに時間がかかるし、最先端で流行りの技術もあるから使った方がいい。という意見もわかります。
進化を続けるテクノロジーを批判しないし拒絶もしません。しかし、どれだけ技術が発展しようと、その根本には必ず人がいます。機械ではない。
流行りに乗っかって、機械が選んでくれた言葉を頼って出す情報に「個」はありますか?
流行りに乗っかって束の間の成功を掴めたとして、流行りが変わったらどうしますか?自分がどうしたらいいのかをまた機械に問いますか?ぼくは自分の心に問いたい。
似たようなサイト、似たような情報、表面的で当たり障りのない文章。行き着く先は単価の高いアフィリエイトリンクか、個人情報吸い取るためのLINEやメルマガへの登録。
みんながそういうものには走るからこそ、その逆へ走る。誰もやらないことに価値がある。ぼくのブログはオリジナルの体験と、自分の言葉と写真から作られています。
自分の人生、どこまで機械任せで生きますか?
より簡単さ手軽さを求める現代の世で、タイパだコスパだいう前に自分の人生の時間をどこにぶつけるべきかは自分で決めたい。機械に決めてもらった人生を生きるのも、機械に選んでもらった言葉で生きるのも、ぼくはつまらないと思うので自分の心に忠実に生きていきたい。
自分で考えていることを自分で言葉にできないで、どうやって自分なりの理想の人生を生きるの?
自分の頭に浮かんだことを自分の言葉で書き続けられる人はきっと、どこまでも自分の足で行けると信じて、ぼくは今日も自分の言葉を綴る。
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