7月19〜21日で東京へ行っていました。例のコーチングスクールで勉強するためです。
今の感情にフォーカスし、自分の中にある「共にいたくないもの」と共にい続けた3日間は、蓋をして見ないようにしていたパンドラの箱を開けてしまうような感覚。
「プロセスコースは感情揺さぶられて泣く人続出するらしいよ」と聞いていて、いい大人が情けねえなあと思っていたら初日から泣きました。
今回の個人的学びは大きくまとめると以下の3点。
- 結局自分の直感が大事
- 強い拒絶の裏に隠れた強い思い
- ネガティブな感情すらも前へ進むためのエネルギー
今回のアイキャッチ画像は「自分で決めない」ということをテーマに臨んだ2日目のランチで食べた冷や汁セット。人が選んだお店で人が選んだものを食べてみた思い出として置いておきます。
前回の学びはこちら。
1.結局自分の直感が大事
毎回このコーチングスクールの振り返りで書いていますが、今回も書きます。
ぼくはどうやら直感力に長けているらしい。仲間たちからのお墨付きです。
調子がいい時は直感が冴え渡っている感がありますが、調子が悪い時は直感を信じきれず躊躇したり踏み込めない感じもあります。
この点に関して、ぼくを見ていてくれた仲間が言ってくれた言葉が大事だと感じました。
- 木も見て森も見る
- 大胆に行くために繊細な部分を観察する
大胆さだけでも繊細さだけでもダメ。どちらもあるからどちらも生きてくる。
これからも感じ取って出てきたものを表現して、自分の言葉で人を救っていきたい。
2.強い拒絶の裏に隠れた強い思い
今回のワークの中で、自分の中にある「共にいられないもの」を扱う時間があり、ぼくは「自分で決められないこと」を選びました。
自分で決められない人生なんて死んでるも同然だと、最初は思っていたからです。
じゃなんで、その言葉にそこまでこだわるのかを考えて行ったら、心の奥底に聞こえないふりを続けた強い思いがありました。
2-1.「惨めな思いをしたくない」という強烈な拒絶
人が決めたルールや評価制度の中にいると、弱い人間は認めてもらえず、仲間に入れず、無力で無価値な人間に思えて仕方がなかった。
原体験は中学時代のシニアリーグでの、試合に出られないどころか背番号すらもらえずベンチにも入れない日々。
上級生になってもらった控えの背番号は「遠くから通っているだけで監督からかけてもらった温情」「あいつよりうまいやついるのになんで選ばれるかわからない」と周囲から言われ、ようやく掴んだ番号を握りしめて惨めな思いをしました。
2-2.言葉にするのも嫌なほど蓋をした感情
もう2度と惨めな思いをしなくていいように、誰も自分を無視できない存在になろうと決意。
惨めな思いをした過去の気持ちを閉じ込めて、そう感じないために強くなくてはならないと思い込んで30年以上生きてきました。
一緒に学ぶ仲間とのデモコーチングの最中に「なんでそんなに強くいなくちゃいけないの?」という問いを聞いた時、長いこと忘れていたはずの感情に気づきました。
それが、強く在りたいという気持ちの裏に隠し続けた、惨めな思いをしたくないという本音。
気づいても言いたくなかったのに「惨めな思いをしたくないと言葉にしてみて」と言われた時、言葉にできないくらい泣きました。今これを書きながらまた泣きそうです。
3.ネガティブな感情すらも前へ進んだり周囲へ影響を与えるエネルギー
今回の大きな発見は
- 蓋をしたくなるような感情にも前へ進む力がある
- その感情を抱く自分だからこそ周囲へ与える影響力がある
ということ。
3-1.前へ進む力
ぼくの場合「惨めな思い」を抑え込んで生きてきました。
見たくないものや受け入れたくないものを抑えこむためにも、実は大きなエネルギーを使っています。
つまりネガティブな感情は持っていたらダメなものではなく、拒絶したくなるほど強い思いの近くには莫大なエネルギーが共存しているということです。
感情を日常的に抑え込むということは、自分が持つ大きなエネルギーを無意識的に使い続けることになると言えます。
それだけ大きくて強いエネルギーを、感情を抑え込むことだけに使っていたらもったいないと思いませんか?ぼくは思います。
3-2.その感情を持つ自分が周囲に与える影響
惨めな思いを拒絶してきたからこそ、ぼくはコミュニティの中に入ると常にリーダーシップをとってきました。
惨めな思いをする人が出ないように、自分で決められるものは自分で決めたいという意志の表れだっと思います。
そして誰も置き去りにしないためには、余計に自分が強くあらねばという気持ちになり、弱さを認められず、強く見せようとずっと無理をしてきました。
無理をしているから時には心も体も疲れ、一番近くにいてくれる本当に守りたいと思う対象にさえ、攻撃的で自己中な態度を取ってしまい、傷つけたことも何度もあります。本末転倒すぎる。
弱い人間には価値がないと思い込んで強くあろうとしてきましたが、人はそもそも弱い生き物であり、弱さを知ることが強さへの一歩なのかもしれません。昔の偉い人もそう言っていた気がします。
弱さに気づいているのに弱いままでいいとは思いませんが、弱さを隠そうとして強がって無理をするよりは、弱い部分は素直に曝け出した方が人間味があって、一緒にいる仲間に安心や心地よさを与えられるかもしれないし、その弱さを見せることで受け入れてくれる人もいるのかもしれません。
現時点での自分の弱さは受け入れ、惨めさを隠すエネルギーは、大事にすべき人や物に注ぎ込んでいきたい。
これを受けた自分は今後どうするのか?
- いるだけでそこにいる人を安心させる人になる
- 瞬時に適切な言葉で発言をする
- ネット上ではなくリアルで知名度を上げる
いるだけでそこにいる人を安心させられる人になる
2個前のフルフィルメントコースの時に、在りたい自分像として「人の成長を見守るヤシの木」をイメージ化しました。その時はまだぼんやりとしたもので絶対的な確信はなかったのですが、今回で繋がりました。
ぼくは自分が何をするわけでもない、いるだけでそこにいる人が安心する存在になりたかった。
この本音に気づいた時、ヤシの木のイメージと在りたい自分が完全に合致。
これからは存在するだけで、場を温め人を笑顔にできるような人間になっていきたい。
瞬時に適切な言葉で発言する
とは言っても、本当にいるだけだと置き物になってしまうので話しかけてください。
そして話しかけてくれた人には、適切な言葉を届けたい。
直感で、その人が必要としている言葉をまっすぐに届けたい。
そのための感覚を日頃から研ぎ澄ませておきます。
ネット上ではなくリアルで知名度を上げる
で、上記2点ができる自分はどこでどんなことをしているかを考えました。
それはインターネット上ではなく、顔を合わせた対面の場。つまりリアルな付き合いでこそ、自分は真価を発揮する。
知名度を上げると書きましたが、別に有名人になりたいという意味合いではなく、紹介や人伝で会う人が増えていくような感覚で、ぼくの好きなヒト・コト・モノ・バショ、つまりはブログタイトルでもある【どストライクゾーン】に全力で向き合いたい(フルスイングしたい)。
そうなったら自然と仲間も増え、仲間が増えればできることが広がり、今よりもっと豊かな人生が待っていると思いました。思いましたというか、そうなります。
まとめ
蓋をしている感情にこそ、実は人生を大きく変えるきっかけがあるのかもしれません。
その感情と向き合うことは1人では至難の技ですが、共にいてくれる人がいればきっと大丈夫。
そして、ぼくでよければ共にいますので、必要な時は声をかけてください。
共にいてくれた仲間たちのおかげで、ぼくは救われました。ありがとう。
ここまで読んでくれたあなたは今、何を感じていますか?
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