アイキャッチ画像は2023年4月30日、京都帰りの新幹線で飲んだ缶ビール。これを最後にお酒を飲まなくなり、丸1年が経ちました。
お酒をやめた理由
1年ほど前に奥さんの妊娠が発覚。病院への送り迎えや、いつ何があっても対応できるように車を買ったのでいつでも運転できるように、というのが表向きな理由です。
これはこれで嘘じゃないのですが、もう一つの理由として「飲むと人として終わる」というのがあります。もともと大して人間ができていないのに、酒を飲むともっとダメになります。
過去の醜態はブログでも晒してきたので今回は省略しますが、酒によって無駄にしたことは少なくない。そこに気がつけたことが、今となっては大きな収穫ですが、今後はもうお酒は人生に必要ないかなと言った感覚。
奥さんの妊娠はきっかけであって、根本的な部分としては人間改革が大きな理由かもしれない。
お酒の社会的地位
お酒のヤバイところとしては、なぜか嗜好品としての社会的地位を確立している点。
この世は失敗をしてしまうと、社会的に一発アウトなことが多い世界。ずっと叩かれたり、その後のキャリアに響いたり、立ち直ろうと思っても何年も前のことほじくり返してくるやつがいたり。
それなのにお酒の失敗に対しては、驚くほど寛容。
飲みすぎて記憶を無くしたり、持ち物が全部消えていたり、掘りごたつの中がゲロまみれだったり、チーズフォンデュの鍋の中から一緒に飲んでいた人のメガネが出てきたり、なぜかパンツが破れていて腰ゴムしか残っていなかったり、気付いたら知らない駅で全身打撲だったとしても、お酒が好きな人同士だと「まあそういう失敗もあるよね」と笑って許されてしまう。
これに甘えて、とにかくグチャグチャになるまで飲めばいいと思っていました。むしろそうならないと飲んだ気にならなかったです。
お酒をやめてよかったこと
お酒をやめて感じる主なメリットは以下の3点。
- ずっと自分の頭で考えられる
- 家族に呆れられない
- 飲んでいた頃より毎日が楽しい
ずっと自分の頭で考えられる
お酒を飲むと徐々に思考力が低下します。知らない間に同じ話をしていたなんてのは、多くの人に当てはまる話かもしれません。深い話しているつもりが支離滅裂だった人もいると思います。
最後の方とか、まだ目の前にお酒が残っている(しかも長いこと口つけてなくてもう飲めない)にも関わらず「ラストオーダー」という言葉に反応して「生○杯(そこにいる人数×2)!!!」とか「じゃお会計して次行きますか!」とかを言っている。頭より先に体が動いています。無意識怖い…。
酒浸しになって萎んだ脳みそではなく、シャキシャキの脳みそで決断できる毎日は楽しいことで溢れていました。
家族に呆れられない
お酒が悪というより、お酒によってダメな人間になることを自分の当たり前にしたまま、生きていかなくてよかったと思います。
朝起きたら父親がいないだけでなく、その父親がどこかの駅で気絶していたとか、飲む度に絶対終電逃すとか、せっかくの休みなのに気持ち悪いって言いながらずっと寝てるとか最悪。これまでの飲み方していたら、絶対家族につまらない思いをさせていたと思います。
自分の父親もお酒が大好きですが、思えば飲んでダメになっているところは一度も見たことない。ちゃんと自分を理解した上で、日々の楽しみとしてお酒と付き合えている親父はやっぱすごいなと思います。
飲んでいた頃より毎日が楽しい
飲んでいないことを伝えると「お酒のない人生なんてつまらない」とか「俺は毎日家で奥さんと晩酌するのが人生の楽しみ」と言ってくる友人もいました。
それは全くもって問題ないし、お酒そのものや、お酒を飲む人を否定したい訳ではありません。奥さんとの晩酌を楽しみに仕事を頑張るなんて、素敵だと思います。
問題は飲み方であって、節度のないお酒の飲み方ってやっぱり楽しくないと思うんですよね。楽しいと思い込んでいるだけ。
実際は飲んで楽しい時間よりも、飲み過ぎて気を失ったり、体調悪かったり、使い物にならない時間の方が圧倒的に多い。
二日酔いを味わう自分も、見ている周囲も決して楽しくないです。お酒を楽しめる人にはいいけど、飲まれてしまう人は楽しめていないことを自覚するべき。お酒がなくても楽しみ方は無限にあります。
お酒をやめて気がついたこと
グチャグチャになるまで飲んでしまっていた原因は、お酒がストレス発散になってしまっていたことでした。
やりたい仕事をやって好きな国に住んでいても、なぜか日常には満足せず楽しみを求め続けていた自分の心。その理由は「やりたいと思っていたことが心の底からのやりたいことではなかったから」だと感じます。
これやりたい!と本音で出たものではなく、人からどう思われるか?で選んだやりたい風なこと。それをやっている自分の見られ方や、周囲への影響、世間体を考えて行動していたんだと思います。
それだと、どれだけ日中頑張っても満たされません。成果の良し悪しを周囲の反応から決めてしまう他人軸での生き方だからです。そして成果の出ない日中の鬱憤を晴らすかのように、夜の街へ吸い込まれていく。終わりの始まりでした。
お酒は一瞬だけ現実を忘れさせてくれる
そんな時に飲むお酒は、一瞬だけいろいろ忘れさせてくれる魔法の水なんですよね。ホリエモンも言っていました。嫌なこと、うまくいかないことがあった日は飲んで忘れたらいいと。
繰り返しですが、大事なのは飲み方。飲んで忘れてまた明日から頑張れる人は飲んだらいいと思います。
だけど魔法なので弱い人の力では抗えません。魔力の前では理性を保てなくなる。忘れたいことだけでなく、忘れてはいけないことまで忘れてしまいます。
だから言わなくてもいいことまで言ってしまうし、このくらいならいいかとハメを外してしまうし、人の気持ちを考えず自分が言いたいことだけ話してしまうし、終電の時間を忘れて待っている大切な人に心配かけるし、明日もまたやるべきことはあるのに目の前の快楽に負けてしまう。
ぼくは忘れてはいけないことばかりを忘れてきてしまっていました。
暇を埋めるように働き、仕事のストレスで酒を飲む矛盾
春秋戦国時代を描いたキングダムという漫画を見ていて思いますが、生まれてから死ぬまで絶えず戦争中で「明日死ぬかもしれない」と闘い続けていた人たちにとっての酒は、いい意味で理性を飛ばし、昂った状態で現実と向き合うための良薬だったのかもしれません。
もしくは酔ってないとやっていられない世界だったのかも、とか考えます。戦争へ行く兵士が現地でドラッグやるみたいな感覚に近いかもしれないです。正常なメンタルだったら平気な顔して殺し合いなんてできないと思う。
安心安全の度合いの高い世界線で暮らす自分たちには、そんなストレスはないです。むしろ過剰なほどの暇があるはず。その暇を埋めるように興奮や負荷を求めて生きる。その一つが働くことであり、その結果さらなる欲望と苦痛もついて回る。そこから抜けたくて酒を飲むのかもしれません。大いなる矛盾。
そう感じた時、飲まないとやっていられないような仕事は本当にやりたいことじゃないなと思って手放しました。
お酒のない頭で考えた自分が本当にやりたいこと
お酒をやめてからの1年間、シラフで自分と向き合い続けて見つけた「自分にとっての理想の人生」の一例は以下の通り。
- 何があっても家族みんなで楽しく生きていく
- 好きな時に好きな場所へ行って好きなことをする
- 好きな人たちと笑ってご飯を食べる
- 家族や仕事を理由にやりたいことをやらない言い訳をしない
生きていると楽しいことばかりではありませんが、何があっても前向きに乗り越えていければ楽しく生きていける気がします。そのためにはやっぱり酒飲んで寝不足になったり、二日酔いでくたばっている場合じゃないなって思います。
時間や場所の制約を他者から受けることなく、毎日の時間の使い方を自分の判断で決めて、好きな人たちとの時間を最大限増幅させる。人生は有限だからこそ、泡のように消えていくものではもったいない。時間もお金も労力も好きな人たちのために使いたいのです。
お酒と一緒に手放したプライド
お酒と一緒にチンケなプライドも手放しました。
仕事によってどんな成果を上げるのか?社会的地位や影響力は?他人からの評価は?そんなことを手放すと、人生の悩みは極端に減ります。仕事も所詮は人生の一部だからです。
自分にとって本当に大事にしたいのは、社会的に何かを成し遂げた成果ではなかったからです。
家族を大切にしたいなら、家族を大切にできる働き方をすればいい。
それがぼくの答えであり、自分の一番のやりたいこと。だからぼくは家にいながら家族が困らないだけのお金を稼ぎ、いつ何があっても対応できるような生き方をしたい。
お酒をやめても変わらない付き合いをしてくれる友達に感謝
そんな感じで、引き続きシラフで生きていきます。家族をとにかく大事にしたいぼくですが、別に友達関係を蔑ろにするつもりはありません。これからも好きな人たちとは楽しいことをして遊んで暮らしていきたいので、引き続きお付き合いください。
最後に、お酒を飲まなくなった人に対して「飲めよ」とか「なんだよそれつまんねえな」とか「一杯くらいいいだろ」って口に出す人はやめた方がいいです。つまんないと思うのは自由ですが、理由があって決断をした人を尊重できないならそれは友達ではないからです。
ぼくの周りにはあまりいませんので、お酒をやめても楽しい人との楽しい時間はなくなりませんでした。これからもたくさん楽しい人生を生きていきましょう。一緒に遊ぶときは運転は任せろ。
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